東京地方裁判所 昭和57年(ワ)4354号 判決 1991年9月30日
原告
小澤要作
同
小澤英一
同
小槫敦子
同
安野真知子
右訴訟代理人弁護士
原田敬三
同
西嶋勝彦
同
藤倉真
同
清水洋
同
村田由美子
被告
国
右代表者法務大臣
左藤恵
右訴訟代理人弁護士
武内光治
右指定代理人
久保田誠三
外三名
主文
一 原告らの請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告小澤要作に対し、金一六九七万五三八〇円及び内金一三〇〇万一三二〇円につき昭和五七年五月一日以降、内金四二万〇二八〇円につき昭和五八年一月一日以降、内金四一万五五二〇円につき昭和五九年一月一日以降、内金四一万一三二〇円につき昭和六〇年一月一日以降、内金四〇万七一二〇円につき昭和六一年一月一日以降、内金四〇万二九二〇円につき昭和六二年一月一日以降、内金三九万八七二〇円につき昭和六三年一月一日以降、内金三九万四五二〇円につき平成二年一月一日以降、内金一九万五一六〇円につき平成二年七月一日以降、内金九二万八五〇〇円につき判決送達の日の翌日以降、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告小澤英一、同小槫敦子、同安野真知子に対し、それぞれ、金一〇五七万八九一八円及び内金七七九万八五四六円につき昭和五七年五月一日以降、内金二八万〇一八七円につき昭和五八年一月一日以降、内金二七万七〇一三円につき昭和五九年一月一日以降、内金二七万四二一三円につき昭和六〇年一月一日以降、内金二七万一四一三円につき昭和六一年一月一日以降、内金二六万八六一三円につき昭和六二年一月一日以降、内金二六万五八一三円につき昭和六三年一月一日以降、内金二六万三〇一三円につき昭和六四年一月一日以降、内金一三万〇一〇七円につき平成二年七月一日以降、内金七五万円につき判決送達の日の翌日以降、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 仮執行免脱宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告小澤要作は亡小澤千鶴子(以下「千鶴子」という。)の夫、原告小澤英一は原告小澤要作と千鶴子の間の長男、原告小槫敦子は長女、原告安野真知子は三女である。
被告は、東京都新宿区戸山町一番地において国立病院医療センター(以下「本件病院」という。)を開設し、これを運営している。
2 診療契約
千鶴子は昭和五五年四月一七日、本件病院において、被告と、胆石症の症状を除去し健康を回復させることを内容とする診療契約を締結した。
3 事実経過
(一) 本件手術に至る経過と第一回手術
(1) 千鶴子は、昭和五四年初めころから感じていた右胸部から右背部、心窩部にかけての疼痛の回数や重圧感が増加したため、昭和五五年四月一七日、本件病院において受診したところ、胆石症と判明し、同年五月八日、本件病院の内科病棟に入院し、精密検査を受け、手術の必要があるとされ、同月二三日には外科病棟に移った。
(2) 第一回手術
千鶴子の手術は、胆のう総胆管結石症との診断のもとに昭和五五年六月六日午前九時一八分から午後四時一四分まで行われた。執刀医は江草康夫医師(以下「江草医師」という。)であり、第一助手は相良正彦医師(以下「相良医師」という。)、第二助手は田村潤医師(以下「田村医師」という。)及び坂本栄一医師(以下「坂本医師」という。)が務めた。
まず、上腹部を正中切開して、腹腔内に入り、肝十二指腸靱帯を切開し、胆のう管を結紮した。胆のうを肝臓床より剥離し、胆のう管にアトムチューブを挿入し、術中胆管造影をした。三管合流部よりやや下流で、約二センチメートル総胆管切開をした。胆道さじで石を約一〇個取り出した。ネラトン管(四号)で総胆管内をよく洗滌した。肝内胆管に嵌入していた石を、バスケット鉗子などを用いて取り出そうとしたがうまくいかず、左第一分枝直後の石は鉗子で砕くと小さな砂片が壁に付着し、右第二分枝直後の石は約三分の一は取り出したが、残りは肝内胆管の枝が細く取り出せなかった。
さらに、医師らはファーター乳頭部(以下、単に「乳頭部」という。)につき乳頭形成術を行った。フォガテイカテーテルを総胆管切開部より乳頭部を越えて十二指腸へ挿入し、乳頭部の位置を確認し、この部位を中心に十二指腸の第二部分やや肛門側に縦切開を約三センチメートル置いた。
約2.5センチメートルの長さで乳頭形成術を行った。乳頭形成術により、膵頭部に外科的侵襲を加え、膵の一部を切除した。形成術施行後、Tチューブを総胆管に挿入し、Tチューブ造影を行った。五立方センチメートル(以下「CC」の記号を用いる。)と二〇CCとで造影したところ、遺残結石は既知のもの以外にはなかったが、十二指腸への通過はほとんどなかった。乳頭形成部の浮腫のために通過が悪いと判断した。
最後に、Tチューブは術後胆道鏡を考慮した部位に出し、アメゴムとシリコンのドレーンを側腹部よりウインスロー孔(肝臓と十二指腸と胆管の間の部分)に挿入した。しかし、医師らは、十二指腸後面の膵頭部周辺からの膵液滲出(「浸出」の用語例もあるが、以下「滲出」に統一する。)に対する処置として同部にドレナージを置くことをせずに、腹壁を閉鎖し、手術を終了させた。
(二) 第一回手術後の経過
(1) 第一回手術の直後に膵頭部に術後膵炎を発症し、右後腹膜腔に膵液や膵酵素が滲出した。医師らは、術後第一病日の六月七日、第二病日の八日、第三病日の九日の三日間については、急性膵炎(術後膵炎)の発見の重要な指標となる血清アミラーゼ、尿中アミラーゼの検査を行わず、第四病日の一〇日になってようやく、右アミラーゼの検査を行った。
(2) 千鶴子は、第一回手術の直後から、腹部の膨満、頻脈、上腹部の圧痛の症状があり、手術の翌日である第一病日の六月七日から背部痛を訴えだし、第二病日の八日、第三病日の九日と痛みが持続し強まっていった。
第四病日の一〇日の検査では、白血球一万五五〇〇となり、血清アミラーゼ五九一、尿中アミラーゼ三三四五となり、正常値を大きく上回る異常値を記録し、また、ガスが出、下痢便が多数回あった。
千鶴子には、悪寒を伴う発熱、白血球の増加などの感染症の症状が見られ、第四病日の一〇日には右側腹部に圧痛を伴う膨隆が生じ、第五病日である一一日には発赤を伴う浮腫として認められる状態になり、レントゲンにより腹部にガスのあることがわかり、白血球は二万六二〇〇に上昇していた。この一〇日から一一日にかけて、後腹膜腔内に膿瘍または膿瘍状の貯留が形成された。
(3) 本件病院には、CTや超音波検査の器械が設置され活用されていたが、医師らはCT検査及び超音波検査を行わず、膿瘍の貯留を発見できなかった。
(4) 第五病日の六月一一日、千鶴子はひどく苦しみ、呼吸困難となり、夜から酸素テントに入った。同日夜一一時ころ、病院から明日第二回手術をする旨家族に連絡がされた。
(三) 第二回手術
(1) 第二回手術は、昭和五五年六月一二日午後四時一七分から午後六時三二分まで、鳥居有人医師(以下「鳥居医師」という。)が執刀医、江草医師が第一助手を担当し、相良医師も他の手術終了後、術者として参加し、行われた。
(2) 術前所見は右側上腹部限局性腹膜炎で、再手術は右診断に基づいて行われた。
医師らは、身体内に膿瘍があることが明らかであるとして、膿瘍を探すことに主眼をおいた。
(3) 第二回手術は、前回の手術創を再び開いて行った。腹水に血液が混じっていた。前回の手術付近に挿入したTチューブから膿が漏出し、アメゴムとシリコンのドレーンの周囲に膿が付着していたが、膵臓を除いて調べたため、膿瘍の所在をつかめなかった。また、第一回手術で十二指腸を授動した部分については、改めて十二指腸を授動し上行結腸を反転して後腹膜の炎症の波及や膿瘍状貯留の有無を確認することをしなかった。胃瘻、空腸瘻の手術を行い、皮下に三つのシリコンドレーンを挿入して手術を終了した。
しかし、挿入されたドレーンは、いずれも十二指腸の後面、膵臓の裏側まで先端が届いておらず、膵床部や後腹膜まではドレナージされていなかった。
(四) 第二回手術後の経過と第三回手術
(1) 第二回手術によっても、千鶴子の症状は改善されず、千鶴子はICU(集中治療室)に入った。
(2) 千鶴子は、第二回手術後も、頻脈で、両肢にむくみができ、横隔膜が上昇し続け、また腹部が膨満し続け、背部に発赤を伴う浮腫ができ、発熱、白血球の増加など悪化するばかりだった。
(3) 千鶴子の容態が悪化したので、医師らは六月二三日になって第三回手術を行うことを決めた。
(4) 第三回手術は、六月二四日午前〇時七分から午前一時三三分まで、相良医師が執刀医、安達秀治医師(以下「安達医師」という。)が第一助手、江草医師が第二助手となって、後腹膜膿瘍の診断のもとに行われた。
皮膚を切開し、腹腔内を見ると、皮下組織、筋、筋膜がいずれも非常に浮腫性でもろくなっていた。上行結腸外側から内側の後腹膜腔に入るべく、同結腸外側で腹膜を一部鋭的に開き、鈍的に手指を用い後腹膜腔に入ると、悪臭の強い血膿性滲出液の排出を見た。さらに、手指で同スペースを拡張し、膿瘍腔全体から滲出液を排出させた。生理食塩水約五〇〇〇CCで洗滌を繰り返した。同スペースから腹壁の腹膜前脂肪組織が壊死様にくずれ、壊死性細片として排出された。膿は約二〇〇〇CCも排出された。ドレーンを設置し、人口呼吸も設置し、手術を終了した。
(五) 第三回手術後死亡まで
千鶴子は、手術後、血圧が上がらず、尿が出なくなり、危篤状態になった。
その後、一見回復したかにみえ、人口呼吸器を取り外そうとしたが、できなかった。六月二六日、千鶴子は意識が薄れ、同月二七日には意識不明となった。同月二八日には、医師は家族に対し、もう打つ手がないと告げた。同月二九日午前一時二六分、千鶴子は第一回手術の操作の侵襲によって発症した術後膵炎による後腹膜膿瘍、後腹膜膿瘍による敗血症が原因となり、またはそれらがあいまって死亡した。
4 被告の責任
被告の被用者であり、かつ、本件診療契約の履行補助者である本件病院の担当医師らには、千鶴子の死亡につき、次のような過失がある。
(一) 術後膵炎発症についての責任
(1) 乳頭形成術の施行の誤り
担当医師らは、乳頭形成術の適応決定に関する事前の検査検討を怠り、本来T字管からの術後胆道鏡による遺残結石の摘出によるべきところ、その検討もせず、そのために術後膵炎の合併症を起こす危険性の高い乳頭形成術の適応判定を誤り、適応のない本件症例についてこれを安易に施行した重大な過失により、本件術後膵炎を発症させた。
(2) 乳頭形成術の手技上の過失
乳頭形成術は術後膵炎発症の危険性が高く複雑な術式であるところ、担当医師らはこれを初心者である江草医師に執刀させ、同医師は適応やNDS(胆管末端部括約筋)の計測などの予備検査もしないまま安易に施術に入り、主膵管の結紮や損傷の防止対策として主膵管開口部にチューブを入れることもせず、膵損傷等の侵襲を生じさせないように臓器を愛護的に扱い丁寧な手術を行うべきところ、これを怠り乳頭部の括約筋の切除、縫合を進めていく際、本来二、三回程度の乳頭部組織片の切除で済むところ、数度にわたり膵頭部の一部に切創による損傷を生じさせたうえ、乳頭部周辺に機械的刺激を加えたために、術後同部に浮腫を発生させ、これらを原因として術後膵炎を発症させた。
(3) 術後膵炎の発症原因
イ 乳頭形成術による直接間接的な膵損傷
術後膵炎の発症原因としては、直接あるいは間接的な膵組織への手術侵襲が最も重要な原因として考えられているところ、本件第一回手術の乳頭形成術において、膵頭部の実質が一部切除され、直接的に損傷された。切除された結果、膵の小さな数片が生じた。
また、第一回手術の執刀医である江草医師が、術中に決定された乳頭形成術について未経験で知識不足であったため、臓器を愛護的に扱い丁寧な手術を行うべき本手術において、乳頭部の性状やNDSの長さの計測などの術前検査を怠り無造作に執刀したため、不適当な膵への触手、圧迫等の侵襲も加わった。
ロ 乳頭部の閉塞及び狭窄
発症原因として次に考えられるものは、乳頭形成術を施した乳頭部の浮腫による主膵管の閉塞又は狭窄である。すなわち、乳頭部に生じた浮腫と出血が主膵管の閉塞または狭窄を生じさせ、これが膵液の流れを障害したり、胆汁の膵管内逆流を生じさせて、膵炎を発症する。
本件の乳頭形成術後、形成術の手術操作により形成部に浮腫が生じ、この浮腫が術後約四日間継続した可能性がある。
ハ 本件術後膵炎の発症原因
以上のとおり、本件の術後膵炎は、右イ及びロの原因が、単独ないし競合して発症したと考えられるが、さらに、約七時間という異常に長い手術時間による過大な肉体的浸襲、長時間にわたる胆道鏡検査と右による結石摘出が膵に対し圧迫、接触等の刺激を与えたこと、乳頭形成術のためコッヘルの授動術で行った膵頭部の移動、牽引、接触が膵に対し直接間接に過重な悪影響を与えたことが、単独に、又は前記原因と競合的に作用して膵炎発症に至った。
(二) 膵炎発症に対する予防義務・早期発見義務
(1) 乳頭形成術による術後膵炎発症の予見可能性
本件第一回手術のように長時間にわたる胆石摘出等の手術は、長時間であること自体が術後膵炎を発症させる危険性が高い。
さらに、乳頭形成術が多かれ少なかれ膵の切除を避けられない術式であるならば、右術式を採用すること自体、術後膵炎発症の高度の危険性がある。
しかも、本件第一回手術においては、前記のとおり拙劣な手技とこれによる膵実質に対する度重なる切り取り行為という膵に対する外科的侵襲が行われており、また、乳頭形成術直後、乳頭部に浮腫が生じたことが確認されているのであるから、術後膵炎発症の危険は現実性を備えたものとなっていた。
(2) 予防義務
右のように、本件第一回手術による術後膵炎発症の危険は極めて高く、しかも五八歳という千鶴子の年齢から、発症した場合に重症となり死に至る危険性は高かったのであるから、担当医師らは、術後膵炎発症を予防すべく、右手術において、十二指腸後面の膵頭部周囲からの膵液滲出に対する処置として、同部にドレナージ、すなわち膵床ドレナージを置いておくべきところ、これを怠った。
また、第一病日からFOY又はトラジロール等の抗トリプシン剤、COP―コリン(ニコリン)等の抗フォリスパーゼ剤を投与して膵酵素の安静化を図ることにより膵炎発症を予防すべきところ、これを怠った。
(3) 早期発見義務
術後膵炎は二四時間内の発症が最も多く、大部分は一週間以内の発症であり、また、前述のとおり千鶴子がこれに罹患すれば死亡の危険性が高いと考えられたのであるから、本件では本症の局所的並びに全身的病態が増悪する前に、早期に診断して早期に治療を開始することが特に重要であった。
術後膵炎発生の危険性が予測される場合には、術後頻回の血中・尿中アミラーゼ測定による早期発見に努めなければならないところ、血中アミラーゼは急性膵炎発症後数時間で上昇し数日以内に正常化するから、発病直後においてのみ診断的価値が高い。本件で医師らは第一回手術当日(六月六日)からアミラーゼ検査を行うべきところ、これを怠り、術後膵炎発症の確定診断を第二回手術(六月一二日)以降に遅らせ、治療が手遅れとなった。
(三) 膿瘍又は膿瘍状貯留の発見義務及びドレナージの義務
(1) 術後膵炎の発症時期と膿瘍形成
イ 膵炎の発症時期
千鶴子は、第一回手術直後から上腹部の膨満、頻脈を生じ、第一病日(七日)には背部痛が始まって日ごとに強まり、腹部痛、高熱も続き、第三病日(九日)には低蛋白血症も明らかとなり、アミラーゼ及び白血球も高い異常値を示していたのであるから、遅くともこの第三病日には術後膵炎が発症していた。
ロ 炎症の拡大と膿瘍形成
千鶴子には第一回手術後、急性膵炎症状に加え悪寒を伴う発熱、白血球数増加、低蛋白血症などの所見も見られるようになり、六月一〇日には右側腹部に圧痛を伴う膨隆が生じ、一一日にはその部が発赤を伴う浮腫として認められていたのであるから、後腹膜腔内の膿瘍又は膿瘍状貯留は、第二回手術前の六月一〇日から一一日には、形成されていた。
すなわち、前記原因により急性膵炎となり、膵組織を脱出した膵酵素が膵周辺組織を消化し、脂肪壊死に陥らせ、後腹膜組織に膿瘍を形成させていったのである。
(2) CT検査及び超音波検査による発見義務
当時、本件病院にはCT及び超音波の器械が設置され活用されていたのであるから、医師らは、膿瘍又は膿瘍状貯留を発見するために、CT検査及び超音波検査を実施すべきところ、これを怠り、第二回手術において膿瘍に対し適切有効な措置を採ることができなかった。
(3) ドレナージの義務
第二回手術前の臨床所見で、炎症が右後腹膜にあるか又は及んでいると考えられたのであるから、第二回手術においては、十二指腸を授動し上行結腸を反転して後腹膜の炎症の波及や膿瘍状貯留の有無を確認し、膿瘍状貯留のドレナージを行うべきであったのにもかかわらず、これを怠った。
また、仮に膿瘍がまだ大量には発生していなかったとしても、治療ないし予防措置として、十二指腸の裏側の後腹膜腔にドレーンを置いておくべきところ、これを怠った。
(4) 担当医師らは、右(2)、(3)記載の過失により、後腹膜腔に対するドレーンを置かずに第二回手術を終了させ、よって、千鶴子を本件死亡に至らしめた。
(四) したがって、被告は、債務不履行又は民法七一五条により、原告ら及び千鶴子が被った損害を賠償すべき責任がある。
5 損害
(一) 千鶴子の逸失利益 一二三五万五一四〇円
昭和五四年賃金センサスに基づき女子の平均給与月額を基準とし、生活費として三割を控除し、死亡の翌日から満五八歳の該当給与を受け、以下次年度は満五九歳の該当給与を受け、終期平成二年六月となる別表逸失利益計算式のとおりである。
これを、原告小澤要作が四一一万八三八〇円、その他の原告らが各二七四万五五八五円ずつ相続した。
(二) 千鶴子の慰謝料 一五〇〇万円
千鶴子の精神的苦痛を慰謝するに相当な慰謝料金額は、一五〇〇万円を下らない。
これを、原告小澤要作が五〇〇万円、他の原告らが各三三三万三三三三円ずつ相続した。
(三) 原告らの固有の慰謝料
原告小澤要作 五〇〇万円
その他の原告ら 各三〇〇万円
(1) 妻の死亡による原告小澤要作の精神的苦痛を慰謝するためには、五〇〇万円が相当である。
(2) 母の死亡によるその他の原告らの精神的苦痛を慰謝するためには、各三〇〇万円が相当である。
(四) 葬儀費用 一〇〇万円
原告小澤要作は、千鶴子の葬儀費用として金一〇〇万円を越える金額を出捐した。
(五) 弁護士費用 六三五万七〇〇〇円
原告らは、原告ら訴訟代理人弁護士らに、本件訴訟の提起及び遂行を委任し、着手金及び成功報酬の支払を約したが、右着手金及び成功報酬金額は、本件訴訟が医療過誤訴訟であり、医学的知識の吸収と訴訟準備に費やす原告ら代理人の労力が莫大であることを勘案し、東京弁護士会報酬会規第八条に従い、同標準額の三〇パーセント増額とするのが相当である。
したがって、弁護士費用は、前記(一)ないし(四)の請求額合計金四二三五万五一三四円に右報酬会規を適用して算定した着手金及び報酬金各三一七万八五〇〇円、合計六三五万七〇〇〇円である。
これを、原告小澤要作が一八五万七〇〇〇円、その余の原告らが各一五〇万円ずつ負担する約束である。
6 よって、原告らは、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告小澤要作について、金一六九七万五三八〇円及び内金一三〇〇万一三二〇円につき弁済期の経過した後である(以下同じ)昭和五七年五月一日以降、内金四二万〇二八〇円につき昭和五八年一月一日以降、内金四一万五五二〇円につき昭和五九年一月一日以降、内金四一万一三二〇円につき昭和六〇年一月一日以降、内金四〇万七一二〇円につき昭和六一年一月一日以降、内金四〇万二九二〇円につき昭和六二年一月一日以降、内金三九万八七二〇円につき昭和六三年一月一日以降、内金三九万四五二〇円につき平成二年一月一日以降、内金一九万五一六〇円につき平成二年七月一日以降、内金九二万八五〇〇円につき判決送達の日の翌日以降、各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告小澤栄一、同小榑敦子、同安野真知子について、それぞれ、金一〇五七万八九一八円及び内金七七九万八五四六円につき弁済期の経過した後である(以下同じ)昭和五七年五月一日以降、内金二八万〇一八七円につき昭和五八年一月一日以降、内金二七万七〇一三円につき昭和五九年一月一日以降、内金二七万四二一三円につき昭和六〇年一月一日以降、内金二七万一四一三円につき昭和六一年一月一日以降、内金二六万八六一三円につき昭和六二年一月一日以降、内金二六万五八一三円につき昭和六三年一月一日以降、内金二六万三〇一三円につき昭和六四年一月一日以降、内金一三万〇一〇七円につき平成二年七月一日以降、内金七五万円につき判決送達の日の翌日以降、各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1前段は不知、後段は認める。
2 請求原因2のうち、診療契約の内容は争い、その余は認める。健康の回復を目的として適切な治療を行うことを内容とするものである。
3 請求原因3について
(一)(1) (一)(1)は認める。
(2) (一)(2)のうち、乳頭形成術により膵頭部に外科的侵襲を加え、膵の一部を切除したとの点は争い(NDS切除の際に生じた数個の小片の中に、鉛筆の芯の先ほどの大きさの膵の小片が含まれていたことは認めるが、膵頭部に過大な侵襲を加えたものではない。)、十二指腸後面の膵頭部周辺からの膵液滲出に対する処置として同部にドレナージを置くことをしなかったとの点は否認し、その余は認める。
(二)(1) (二)(1)のうち、第一回手術の直後に膵頭部に術後膵炎を発症したとの点は否認し、その余は認める。
(2) (二)(2)のうち、手術の翌日から背部痛を訴えたこと、第四病日の検査では、白血球一万五五〇〇となり、術後初めて行ったアミラーゼ検査では、血清アミラーゼ五九一、尿中アミラーゼ三三四五となり、ガスが出、下痢便が多数回あったこと、発熱、白血球の増加も見られるようになったこと、第五病日には右上腹部から右側腹部に高度の浮腫と発赤が認められたこと、レントゲンにより腹部にガスが発見されたこと、白血球が二万六二〇〇に上昇したことは認め、この時期に後腹膜腔に膿瘍状の貯留が形成されたことは否認する。
(3) (二)(3)のうち、本件病院にCT及び超音波検査の器械が設置されていたことは認め、その余は否認する。当時の本件病院のCTの装置はアートロニクス社製のものであり、解像力が非常に劣り、腹部の使用に堪えないものであった。
(4) (二)(4)は認める。
(三)(1) (三)(1)は認める。
(2) (三)(2)前段は認め、後段は、膿瘍の存在が疑われたという限度において認める。すなわち、千鶴子の上腹部から右側腹部に高度の浮腫と発赤が認められ、同部に限局した腹膜炎の存在が考えられ、その付近の膿瘍の存在が疑われたが、これらは急性膵炎だけで説明し得ない点があると考えられたので、その原因を確認し合わせて急性膵炎を含むそれらの原因に対する処置を講ずるための手術であった。
(3) (三)(3)のうち、第二回手術は前回の手術創を再び開いて行ったこと、腹水に血液が混じっていたこと、アメゴムとシリコンのドレーンの周囲に膿が付着していたが、膿瘍の存在がつかめなかったこと、十二指腸を授動し上行結腸を反転して後腹膜の炎症の波及や膿瘍状貯留の有無を確認することをしなかったこと、胃瘻、空腸瘻の手術を行い、皮下に三つのシリコンドレーンを挿入して手術を終了したことは認め、その余は否認する。
十二指腸切開部の多開は認められず、漏れはなかった。アメゴムとシリコンのドレーンの周囲には膿苔の付着がみられ、この原因はTチューブ挿入部上縁からの胆汁の漏出と思われた。胆汁漏出の原因は、Tチューブの挿入部であり、ドレーンの距離が長すぎて十分に効かなかったためであると判断された。そこで、相良医師が次のドレナージをした。
① ウインスロー孔にサンプチューブとシリコンドレーン
② 横隔膜下にシリコンドレーン一本
③ 十二指腸外側にアメゴムとシリコンドレーン
④ 上行結腸外側にシリコンドレーン一本
なお、胃瘻及び空腸瘻は、膵炎の治療として実施されたものである。
(四)(1) (四)(1)のうち、千鶴子がICUに入ったことは認め、その余は否認する。
(2) (四)(2)のうち、悪化するばかりだったとの点は否認し、その余は認める。第二回手術後、やや改善がみられたこともあった。
(3) (四)(3)のうち、医師らが、六月二三日になって第三回手術を行うことを決めたことは認める。
(4) (四)(4)は認める。
(五) (五)は認める。
4 請求原因4について
(一)(1) (一)(1)は否認する。担当医師らは、肝内遺残結石があるうえ、一応総胆管乳頭部に形態上は狭窄はないように見えるが、摘出した結石等の種類、性状等の調査により総胆管ビリルビン系の結石及び胆泥が存在したことから、長い間胆管に胆汁のうっ滞があり、潜在的には乳頭部に機能的な狭窄があったものと考え、これらを総合すると、右遺残結石が将来乳頭部に嵌頓する危険が大きいと判断し、乳頭形成術の実施を決定した。また、肝内胆管に遺残結石のあることが明らかな本件の場合は同術式の絶対的適応例に当たるため、右のように結石の種類、性状等を調査するほかに、患者に負担をかけてその他の検査を実施する必要性は全くなかった。
(2) (一)(2)は否認する。乳頭形成術においてNDSの完全切除の目標点は、吻合口サイズが総胆管最大径と同一になるところである。そして、本術式では吻合口がキーホール状又は馬蹄形となるようにするため、ある幅をもって十二指腸壁等を切除していくことが必要であるが、何ミリメートルという極少の単位の長さや幅の問題であるため、予めNDSの計測をしたとしても二、三回の切開で足りるとは限らず、数個の小片が生ずることも避けられないのである。
また、担当医師らは、膵液の流出を見て主膵管開口部を確認しており、主膵管の結紮や損傷防止に配慮しなかったわけではない。剖検の結果、膵管及び膵管開口部には手術による異常はみられなかった。
(3) (一)(3)イの前段のうち、本件第一回手術において、膵頭部の実質が一部切除されたこと、その結果膵の小さな数片が生じたことは認める。膵の切創部位から膵液が漏出したとすれば、同所が本件膵炎の初発部位ということになるのであるから、そこに強い死亡壊死や潰瘍及び膿瘍などが形成されなければならないはずであるところ、剖検結果では同所にそれらの形成はみられなかったのであるから、同所が、本件膵炎の初発部位であるとはいえない。
また、右切創箇所は、慎重に縫合しているのであるから、同所から膵液が漏出することは考えられない。膵の一部を切除する結果になることがあるのは、本術式に伴う避けられない結果である。
(一)(3)イの後段のうち、事前にNDSの計測をしなかったことは認め、その余は否認する。オツデイ括約筋の十二指腸付近の構造には個人差があり、これを事前に予知する方法はなく、NDSの計測をしたからといって本件のような切創を避けられるものではない。執刀医江草医師は、愛護的に慎重に本術式を実施した。
(一)(3)ロの前段は、否認する。乳頭部にできた浮腫が膵管開口部にまで及び同所を閉塞する可能性は臨床的に否定できないとしても、剖検結果によると、膵管に拡張は認められず、また膵管開口部にも異常はなかったのであるから、本件においてその可能性はない。
(一)(3)ロの後段のうち、本件の乳頭形成術後、形成部に浮腫が生じたことは認めるが、その余は否認する。この浮腫は一過性のものであり、手術に伴う避けられない現象である。
(一)(3)ハについては、本件の急性膵炎の発症原因が、膵の一部微小部分の切除を含む膵炎に近接する手術操作による侵襲であることが可能性としては高いという限度で認め、その余は否認する。五八歳の患者千鶴子について約七時間の手術時間は医学上非常識なものではなく、これが術後膵炎の発症を助長したとはいえない。
本件急性膵炎は、第一回手術における胆のう摘出術、総胆管切開術、乳頭形成術、Tチューブ誘導術等の手術操作自体の一部又は全部に起因して発症したもの、すなわち右手術の外科的侵襲によって発症したものとみるのが相当であるが、原因となった手術操作を特定することは不可能である。
(二)(1) (二)(1)のうち、乳頭形成術が多かれ少なかれ膵の切除を避けられない術式であることは認めるが、その余は否認する。
(2) (二)(2)は否認する。千鶴子の後腹膜腔に形成された膿瘍の位置とコツヘルの授動術によって剥離した箇所との境には健常の部分が存在していた可能性が大きいのであるが、このように健常部が存在していたのであれば、仮に第一回手術において膵床ドレナージを行ったとしても膿瘍の発生や拡大の防止には何の効果もなかった。
乳頭形成術を行った場合のドレナージの方法としては、原告が主張する十二指腸後面から、すなわちコツヘルの授動術を行い剥離した後にドレナージを行う方法と、ウインスロー孔にチューブを設置して体外に導く方法とがあるが、通常行われているのは後者であり、本件はこの後者の方法に従って行われた。
また、乳頭形成術の際に施行したコツヘルの授動術により、腹腔内と後腹膜腔は連続した一つの腔を形成しており、二本のドレーンにはその先端から一五ないし二〇センチメートル位のところまで数個の穴を開け、シリコン・ペンローズ・ドレーンには外側に縦に溝が入っており、これらのドレーンはその先端をウインスロー孔に置き、コツヘルの授動術によって剥離された後腹膜腔の近傍を通って側腹部から体外に出していたのであるから、十二指腸後面及び膵頭部後面からの滲出液を、右各ドレーンの先端、横の穴及びシリコン・ペンローズ・ドレーンの外側の溝から十分にドレナージできるのである。
(3) (二)(3)は、早期に診断、治療を開始すべきことを除き、争う。術後膵炎は手術当日から三ないし四日以内の早期発症例が多いこと、重症急性膵炎の死亡率が五〇パーセントを超えていることは事実であるが、急性膵炎の症状及び検査法には、決め手となるものはなく、症状と種々の検査の結果を総合して診断するより方法はない。アミラーゼの測定は、急性膵炎の診断において重要であるが、血中アミラーゼは他の疾患でも高値を示すことがあり、アミラーゼの上昇があったからといって急性膵炎の診断はできない。仮に医師らが第一回手術直後からアミラーゼ測定を実施し、これが上昇していたとしても、他の症状と総合して判断するのであるから、第四病日の六月一〇日以前に術後膵炎を確定診断することはできなかった。
(三)(1) (三)(1)イのうち、第一病日から背部痛が始まったこと、第三病日には術後膵炎が発症していたと推定されることは認める。医師らは第三病日には膵炎を疑い、第四病日には術後膵炎と確定診断した。
(三)(1)ロのうち、第一回手術後発熱、白血球数増加、低蛋白血症が見られたこと、六月一一日には右側腹部の発赤を伴う浮腫が発生したことは認める。六月一〇日に右側腹部に生じたものは、膨隆ではなく、膨満である。後腹膜腔内の膿瘍又は膿瘍状貯留が一〇日から一一日には形成されていたことは否認する。
第二回手術時には、後腹膜腔内に炎症(膿瘍又は膿瘍状貯留)を思わせる所見はなかった。千鶴子の圧痛、浮腫及び発赤は、腹部前面の右側上部であり、これらは、右側腹部又は右側腹部から右側上腹部にかけての炎症を推認させる所見であり、低蛋白血症を含めた第二回手術前の臨床所見は、膵炎及び右側腹部の腹膜炎により十分に説明のできるものであった。
また、第二回手術後、千鶴子の腹部所見には、ある程度の改善がみられたところ、第二回手術時に既に後腹膜腔に膿瘍や膿瘍状貯留が存在したとすれば、何日間も後腹膜腔の一部に限局していることはあり得ず、速やかに拡大し、全身状態の急速な悪化をきたすことは必至であり、改善がみられるなど考えられないことである。
(2) (三)(2)のうち、当時本件病院にCT及び超音波検査の器械が備えてあったことは認めるが、その余は否認する。当時、本件病院に備えつけてあったCTの器械はアートロニクス社製のものであって、解像力が非常に劣り、腹部検査のための使用に堪えないものであった。
(3) (三)(3)は否認する。第二回手術の際、第一回手術で腹部の一部を切開し膵頭部を起こして剥離した箇所に付着していた膿苔をピンセットで剥がすと、右切開部はある程度開いていたが、膵頭部後面からの膿汁や滲出液の流出や分泌はなかった。膵頭部後面付近に膿瘍や膿瘍状貯留があれば、膿汁や滲出液の流出や分泌がないことは考えられない。原告の過失の主張はその前提を欠くものである。
また、第二回手術の時点において、十二指腸を再授動し、膵頭部を反転してその背面の奥まで検索し、その奥にドレーンを置くことは、第一回手術後六日後のことであり、その付近の組織がもろくなっていることなどから、十二指腸切開部の開、副損傷や出血の危険が大きく、他方、急性膵炎の治療については、発病当初より抗生物質を強力に使用することが原則であり、昭和五五年当時、膵床ドレナージは急性膵炎に対して万能と考えられていたわけでもなかった。そこで、医師らは、再授動した場合に伴う危険を考慮して検討し、再授動せずに、その付近を愛護的に扱い、胃瘻及び空腸瘻造設術を行い、後腹膜腔にも効果があるように十二指腸外側のドレーンの先端を第二回手術において膿苔を剥がした部分に設置して膵床ドレナージを行い、後は抗生物質で対処するという別の治療方法を選択したのであり、右選択は医学上適切なものであった。
(4) (三)(4)は否認する。膵床ドレナージは、膵自体の壊死から膿瘍形成への進展を阻止しがたく、壊死巣や膿瘍の排除に十分な効果を期待し得ず、この手術によっても死亡率は58.3パーセントと高いものであるから、膵床ドレナージを行わなかったことと千鶴子の死亡との間には、相当因果関係がない。
(四) 本件は、当初の軽度な浮腫性膵炎にすぎなかったものが、膵実質の高度の動脈硬化症による動脈の狭窄のため虚血性変化が動脈の末梢部に発生し、重篤な壊死性膵炎へ移行したものと考えられるところ、膵の高度な動脈硬化症は千鶴子の解剖によって採取された標本の鏡検結果により初めて発覚したもので、臨床的に予測不可能であったから、担当医師らの診療と右壊死性膵炎への進行との間には相当因果関係はないというべきである。
5 請求原因5のうち、(一)ないし(三)は不知。(四)は否認する。(五)は原告らが原告ら代理人に本件訴訟を委任したことは認め、その余は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一1 当事者
原告小澤要作本人尋問の結果によると請求原因1前段の事実が認められ、同後段は当事者間に争いがない。
2 診療契約
請求原因2のうち、千鶴子が昭和五五年四月一七日、本件病院において同人の胆石症について被告と診療契約を締結したことは争いがないが、その余の点についてはこれを認めるに足りる証拠はない。右診療契約の内容は、診療行為の性質上、被告が、千鶴子の健康の回復を目的として国立病院として要求される臨床医学上の知識技術を駆使し、可及的速やかに千鶴子の疾病の原因ないし病名を的確に診断し、当時の臨床医学の実践における水準に照らし、適切な治療行為をすることであったと解するのが相当である。
二千鶴子の治療から死亡までの事実経過(請求原因3)について判断する。
争いのない事実に、<書証番号略>、証人江草康夫、同相良正彦、同鳥居有人の各証言、原告小澤要作及び同安野真知子各本人尋問の結果を総合すると、以下のとおりの事実が認められる。
1 千鶴子は、昭和五四年ころからあった心窩部から右胸部、右背部にかけての疼痛の回数が増したため、昭和五五年四月一七日、本件病院において受診したところ、胆石症との診断を受け、同年五月八日、精密検査の目的で本件病院の内科病棟に入院し、翌日行われた逆行性内視鏡的膵管胆管造影(以下「ERCP」という。)等により、胆のう総胆管結石症との診断を受けた。ERCPの所見によると、胆のう内に超拇指頭大の石が二個及び大豆大の石が約一五個認められ、総胆管は直径一五ミリメートルくらいで拡張が見られ、中に米粒大から小豆大の石が一二個以上認められたが、肝内胆管に異常は認められず、乳頭部に狭窄は見られず、機能も正常であった。千鶴子は同年二三日、手術のため外科病棟に移った。
2 第一回手術
外科病棟では、江草医師と相良医師が共同受持医となった。胆のう総胆管結石症という術前診断に基づき、胆のう摘出術、総胆管切開術、術中胆道造影、術中胆道鏡検査、Tチューブ誘導術、Tチューブ造影の施行が予定された。江草医師は術前、家族に対して、右のような手術の内容を説明し、結石の数がかなり多いので少し時間がかかるが、大体三時間から四時間くらいで終わるであろうと告げた。
第一回手術は、昭和五五年六月六日午前九時一八分から午後四時一四分まで、約七時間にわたって行われた。執刀医は江草医師であり、第一助手は相良医師、第二助手は田村医師及び坂本医師が努めた。
上腹部を正中切開し、腹腔内を見ると、腹水はなく、肝硬変の所見もなく、横行結腸、胃、ダグラス窩にも異常はなかったが、胆のうに触れると多数の結石を触知し、胆のうは中等度に緊満していた。
肝右葉の下縁に大網の癒着があり、これを鋭的に切離し、肝十二指腸靱帯に切開を加えた。キャロー三角において胆のう動脈を検索したが見つからず、胆のう管を結紮し、続いて、胆のう底部から胆のう頸部に向かって胆のうを肝臓床から剥離して胆のう摘出術を行った。
手術時の胆道の状態を把握しかつ乳頭部からの十二指腸への流れ具合を見るため、胆のう管にアトムチューブを挿入し、術中胆管造影を施行した。造影剤ウログラフイン一五パーセントの濃度で五CCと一五CCとで二回撮影した。十二指腸の通過は良好であった。
総胆管切開術を、三管合流部よりやや下流の方で、縦方向に約二センチメートル行った。胆道さじで、下流より褐色ビリルビン結石と胆泥を数個、灰白色で多面体の約三から六ミリメートルの石(胆のう内と同じ性質の物)を約一〇個取り出した。その後、ネラトン管(四号)を総胆管に挿入し、生理食塩水で液が透明になるまでよく洗浄した。
胆道鏡で総胆管内に遺残結石のないことを確認した。総胆管の粘膜は発赤も見られ、ただれた状態だった。続いて、その上流である肝内胆管を見ると、左側の第一分枝直後には直径五ミリメートル位の石が壁にへばりつくようにして一個、右側の第二分枝直後には直径三ミリメートル位の石が一個、嵌入していた(入り口を塞ぐように詰まっていた)。
右のように遺残結石が二個発見されたので、鉗子やカテーテルを用いて取り出そうとしたが、左側の石は鉗子で砕くと壁に小さな砂片が付着した状態が残り、右側の石は約三分の一は取り出せたが、それ以上は不可能だった。
そこで、医師らは、右遺残結石が将来総胆管内に落下した場合に、それが乳頭部を経由して十二指腸内に自然に落下して行くことは期待できないとの判断から、オツデイ括約筋を広く切除し、乳頭開口部を広げて結石の通過を容易にすることを目的として、術前には予定していなかった乳頭形成術を行うこととした。すなわち、まずコツヘルの授動術により十二指腸の外側後腹膜を切開して十二指腸と膵頭部を後腹膜から剥離した。次いで、フォガティーカテーテルを総胆管切開部より乳頭部を越えて十二指腸に挿入し、乳頭部の位置を確認し、この部位を中心に十二指腸の第二部分のやや肛門側を約三センチメートル縦に切開した。そして、十二指腸の粘膜と総胆管の粘膜とを確実に保持しながら、乳頭部の括約筋を切り開いていき、乳頭開口部が直径約2.5センチメートルの馬蹄型になるように形成して乳頭形成術を終えた。括約筋を切る過程の最後の方で、十二指腸壁と総胆管の間に入り込んでいる膵頭部の組織の小片が切り取られた。それは鉛筆の芯の先ほどの大きさの数片であった。乳頭形成部が馬蹄型になったところで、乳頭形成部の太さを確認するため、七号のネラトン管を挿入すると、同部を楽に通過した。
次に、内径八ミリメートルのシリコンTチューブを総胆管切開部に挿入し、上下を縛って漏れのないことを確認した後、術中Tチューブ造影を行った。造影剤は一五から二〇パーセントの濃度で五CCと二〇CCとで行ったが、十二指腸への通過は見られなかった。再度、濃度を三〇パーセントと濃くして造影したが、やはり十二指腸への通過はほとんどなかった。しかし、七号のネラトン管が乳頭形成部を通過したことから、乳頭形成部に浮腫が起こって造影剤の通過を悪くしていると判断した。
肝床部の腹膜縫合を行い、Tチューブは、術後胆道鏡による操作ができるように右上腹部から出し、側腹部からウインスロー孔にアメゴムドレーンとシリコンドレーンを挿入した。出血や異物のないことを確認の上、腹壁を三層に縫合して手術を終了した。
3 第一回手術後の経過
(一) 手術当日の術後の千鶴子の一般状態は、三八度前後の発熱があり、脈拍はやや頻脈で、緊張状態は良好ではなく、Tチューブからの胆汁の排出は少量であった。
(二) 術後第一病日(六月七日)の午前八時ころ、原告小榑敦子と同安野真知子は、手術が長時間に及んだこともあって特に許されて千鶴子と面会した。千鶴子は創痛を訴えることはなかったが、呻くように背部痛を強く訴え、同原告らに頼んで背中をさすってもらったりした。
江草医師はこの時点で、右背部痛は、本件の手術が長時間に及んだことから手術を行いやすくするために千鶴子の背中に敷いた背板のためと考えた。
同日の朝の血液検査の結果によると、白血球数は一万四七〇〇であった。千鶴子は、口渇も訴えていた。ヘモゲロビン値は13.8で、江草医師はやや脱水ぎみと判断した。腹部はやや膨隆ぎみという程度で、右上腹部にやや圧痛が認められた。頻脈で呼吸数も頻回、呼吸困難ぎみであったため、酸素の投与を一分間に二リットル行った。側腹部のドレーンからは、漿液性の褐色あるいは灰色の滲出液がかなり多く認められ、江草医師は胆汁あるいは膵液の関与の可能性も考えたが、よくわからなかった。Tチューブからの滲出液は相変わらず少量で(二〇CC)、江草医師は何か変だと感じていた。
(三) 術後第二病日(六月八日)、千鶴子の背部痛は増強した。発熱が見られ、頻脈で、呼吸状態はあまりよくなかった。腹部は少し膨満しており、圧痛もやや認められた。Tチューブからの排液の量は三CCと少なく、ドレーンからの滲出液は一八六グラムと少し多かった。腸雑音が聴取された。
(四) 術後第三病日(六月九日)も、発熱があり、頻脈で、腹部は少し膨満、右側腹部に圧痛が見られた。腸雑音は活発であった。ドレーンからの滲出液は三六グラムとかなり減少してきた。Tチューブからの排液量の少ない原因を探るため、夕方になって、Tチューブ造影を行った。造影してみると、胆道系に閉塞や拡張は見られず、乳頭形成部の通過も良好だった。Tチューブを挿入した層胆管の上縁の方から造影剤の漏れがあり、同付近に挿入されているドレーンに沿って、造影剤がよくドレナージされていた。術後第一病日の生化学検査の結果によるとGOT四四八、GPT四九〇、LDH四四一とかなり高値であったことも参照し、江草医師は、Tチューブから黄色又は褐色の胆汁の排出量が少ない原因は術後の肝機能障害ではないかと考えた。背部痛は強く、持続していた。江草医師は、背部痛の原因としては背板かあるいは膵炎の可能性もあるとして、同日の夕方から膵炎の抗酸素剤FOYの投与を開始し、また翌日には血中あるいは尿中のアミラーゼを測定することにした。
(五) 術後第四病日(六月一〇日)も、千鶴子は背部痛を何度も訴えた。同日朝採血した血液の検査結果によると、血清アミラーゼ値は五九一と、明らかな上昇が認められた(右血清アミラーゼの検査結果は、同日夕方検査室から担当医に報告があった。)。尿中アミラーゼ値は三三四五であった。白血球数は一万五五〇〇と上昇が認められたが、江草医師は、前日行ったTチューブ造影のための上昇と考えた。体温は午前中は37.5度程度であったものの次第に上昇し、午後九時には39.3度となった。相変わらず頻脈で、右側腹部は少し膨満し、圧痛も認められ、口渇あり、下痢が頻回にあり、尿量は減少傾向を示した。Tチューブからはやっと黄色胆汁の排出が見られるようになった。しかし、ドレーンからの黄色滲出液も四四グラム見られ、前日と比して特別の変化はなかった。この日、担当医師らは膵炎と診断し、FOYの投与を継続した。
(六) 術後第五病日(六月一一日)の午前八時ころ、体温は39.8度まで上昇し、亜寒・戦慄を伴った。滲出液の量も一八六グラムと再び増加した。呼吸頻数で、頻脈、腸雑音は活発で下痢も頻回みられ、背部痛も継続し、腰痛も見られた。この朝に採血した血液検査の結果によると、白血球数は二万六二〇〇とさらに急激に増加していたが、血清アミラーゼは二六一、尿中アミラーゼは一三二二と、いずれも減少していた。腹部は膨満し、側腹部から右の側上腹部にかけて皮膚の発赤あるいは浮腫が著明となった。
医師らは、発熱や白血球数の増加という炎症所見や右上腹部の所見などから、右側腹部から右側上腹部にかけて限局生の腹膜炎が発症したと判断し、翌日に再手術を行うことを決定した。また、滲出液の量が非常に多いことから、ドレーンの間からサンプチューブを挿入し、滲出液一二〇CCを吸引した。
4 第二回手術
(一) 術後第六病日(六月一二日)には、呼吸頻数、腹部の膨満、発赤、浮腫は前日とほとんど同じであり、腹部痛、腰痛が認められ、白血球数は一万九九〇〇であった。
右のような白血球数、頻脈、呼吸頻数、呼吸困難、呼吸機能障害の持続、右上腹部から右側腹部の著明な浮腫、腸雑音の聴取等の所見から、右上腹部腹腔内にドレナージされていない限局された膿瘍があるとの診断に基づき、再手術を行うこととなった。
(二) 第二回手術は、昭和五五年六月一二日午後四時一七分から午後六時三二分まで行われた。鳥居医師が執刀医、江草医師が第一助手を務め、相良医師も他の手術終了後、術者として参加した。
まず、前回の手術創を再び開いた。直下に膿はなく、やや粘稠性の腹水に血液が混じっていた。十二指腸外側、肝右葉下面、胆道部にかけ、腹膜の発赤と膿苔を認めた。左側腹部から下腹部を検索したが、昔の虫垂炎手術による癒着以外に異常所見はなかった。右側腹部には黄色の脂肪壊死が見られたが、顕著な膿の貯留は見られなかった。アメゴムドレーン及びシリコンドレーンの周囲、肝下、肝十二指腸靱帯、十二指腸外側の辺りに膿苔の付着があり、右上腹部、特に総胆管沿いや膵頭部の付近に脂肪壊死が認められた。第一回手術で十二指腸授動術を行った十二指腸外側の腹膜切開部に付着していた膿苔を剥がしたが、膿の排出・漏出はなかった。
十二指腸切開部に開は認められなかった。術前のTチューブ造影で、Tチューブ挿入部から漏れは認められたが、乳頭形成部に漏れは認められなかったことも総合し、担当医師らは、炎症の原因は、総胆管切開を置いたTチューブ挿入部からの胆汁の漏れであり、漏出した胆汁をドレナージするためのアメゴムドレーンとシリコンドレーンが後腹膜の方に対してもドレナージの効果を持つように少し長めに置かれたため、ドレーンの距離が長すぎて十分に効かなかったことによるものであると判断した。
ここで、相良医師が術者として加わり、ウインスロー孔にサンプチューブとシリコンドレーンを、横隔膜下にシリコンドレーン一本を、十二指腸外側にアメゴムドレーンとシリコンドレーンを、上行結腸外側にシリコンドレーン一本を挿入した。もっとも、ドレーンの先端は十二指腸の内側すなわち膵臓の裏側までは届いていなかった。
肺機能が悪いこともあって、膵炎の治療として、胃瘻と空腸瘻の造設術を施行した。すなわち、膵液分泌抑制のため胃液の吸引が必要であるが、呼吸機能が悪いため経鼻腔的に胃液を吸引することは好ましくないため、胃前庭部に胃瘻を作り、ウイッチエル法でシングルチューブを挿入して胃液を吸引し、腸液の乳頭部への逆流を阻止しながら栄養を吸収できるように、トライツ靱帯より約三〇センチメートル肛門側の空腸に瘻孔を作り、フイーディングチューブ(栄養管)を一〇センチメートル挿入した。そして、胃瘻は正中創より、空腸瘻は自然の位置で正中創の少し左側に、腹膜に三針固定して腹腔外へ誘導した。出血、異物のないことを確認し、腹壁を二層に縫合し、皮下に三本シリコンドレーンを挿入して手術を終了した。
5 第二回手術後の経過
(一) 第二回手術後、千鶴子はICUに入った。
翌日の六月一三日の千鶴子の容態は、発熱があり、腹部膨満、頻脈で、白血球数は二万一九〇〇、腸雑音は聴取されず、右側腹部の浮腫は著明(プラス四)であり、左側腹部にも浮腫が現れた(プラス一)。
(二) 同月一四日、右側腹部の浮腫はややよくなったかのようにも見えたがプラス三の所見で、発赤も見られ(プラス一)、左側腹部にも浮腫があった。血圧は正常であるが、白血球数一万九四〇〇、呼吸頻数、頻脈、下痢、発熱があり、右横隔膜の上昇が見られた。
(三) 同月一五日、頻脈、呼吸頻数、発熱といった状態は継続した。同日、相良医師、坂本医師、田村医師、江草医師は、術後の経過、すなわち、背部痛、浮腫、脂肪壊死、総蛋白及びカリシウムの低下、第一回手術後第四病日の血清中及び尿中アミラーゼ値の上昇を総合的に考えて、術後膵炎であるとの結論を出した。
(四) 同月一六日、腹部の膨隆及び左右の腹部の浮腫はややよくなったかのようにも見えた。腸雑音は活発であった。右側腹部には発赤があり、下痢が頻回あって、白血球数はなお二万七〇〇〇と高く、胸部X線写真によると、右側横隔膜の上昇、無気肺、左側肺に異常像が見られた。
(五) 同月一七日、発熱及び下痢があり、少し脱水ぎみで、白血球数は二万四〇〇〇、腹部の膨満は少しよくなった。右側腹部の発赤はプラス二、左右の浮腫はプラス二で少しは減少していた。無気肺、右側横隔膜の上昇が見られた。背部に発赤が発生したため、FOYの投与を継続しレスタミン軟膏を塗布して様子を見ることとした。
(六) 同月一八日、左右の浮腫及び右側腹部の発赤は前日と同様で、腹部の膨満は少しよくなったかのようにも見えた。前日投与ないし塗布したFOY及びレスタミン軟膏は著効なく、背部には発赤、湿疹ばかりか浮腫も見られるようになっていた。両側足にも浮腫が見られた。白血球数は二万〇五〇〇、胸部X線写真によると、やはり横隔膜の上昇が見られた。
(七) 同月一九日、白血球数は二万一五〇〇、全体的な容態に特に変化は見られなかった。担当医師らは、現在の病因は術後膵炎であると診断したが、再々手術をすることによる効果は、手術のもたらす侵襲よりも少ない率しか期待できないと考え、明らかな膿瘍等の病巣がはっきりするまでは経過観察することにした。
(八) 同月二〇日、呼吸頻数、頻脈、発熱持続、口渇があり、腹部の膨隆、外側腹部の浮腫及び発赤は減少した。腹部はやや軟となり、腸雑音が聴取された。
(九) 同月二一日、頻脈で、少し発熱があり、口渇があり、下痢も続いていたが、腹部の膨満は少しとなり、浮腫は右側胸部及び骨盤部をはじめ全体的にかなり改善され(なお、右側腹部の浮腫はプラス二)、滲出液の量も減少してきた。
(一〇) 同月二二日、朝のうち、千鶴子は、体の置場がないと訴えていた。
上肢下肢に発赤疹があり、腹部膨隆は持続、口渇は朝のうち強かったが夕方には軽減した。圧痛は減少し、腸雑音は比較的活発であった。
高度の全身的炎症症状は継続しているが、徐々に良い方向には向かっているようであった。
(一一) しかし、同月二三日、白血球数は再び増加して一万七五〇〇となり、同日朝撮影したX線写真の右下腹部に異常な点状陰影が現れた。発熱は著明となり、頻脈、口渇は続いていた。腹部はほぼ軟かく腸雑音もほぼ活発だったが、呼吸音は弱かった。担当医師らは、後腹膜腔に膿瘍があるものと診断し、再々手術の施行を検討したが、全身状態があまりよくないこと、後腹膜腔の位置からして手技的に難しく死に結びつく恐れもあること等から意見が分かれた。しかし、夕方再度X線写真を撮ったところ、異常な点状陰影は拡大していたので、緊急に再々手術実施を決定した。
6 第三回手術
第三回手術は、同月二四日午前〇時七分から午前一時三三分まで、後腹膜腔膿瘍の診断の下に、ドレナージを目的として行われた。相良医師が執刀医、安達医師が第一助手、江草医師が第二助手であった。
皮膚を切開し、腹腔内を見ると、皮下組織、筋肉、筋膜がいずれも非常に浮腫性でもろくなっていた。上行結腸外側から内側の後腹膜腔に入るべく、上行結腸外側で腹膜を一部鋭的に開き、鈍的に手指を用い後腹膜腔に入ると、悪臭の強い血膿性貯留液の排出をみた。大網、小腸、大腸は一塊となり判別不能であったので、後腹膜腔へは、これらを一塊として翻転しながら到達した。さらに、手指で同腔を拡張し、膿瘍腔全体により滲出液を排出させた。生理的食塩水約五〇〇〇CCで洗滌を繰り返した。同腔及び腹壁の腹膜前脂肪組織が壊死様にくずれ、壊死性塊として排出された。膿は約二〇〇〇CC排出された。ドレーンを挿入し、人口呼吸器を設置して、手術を終了した。
7 第三回手術後死亡まで
千鶴子と家族が言葉を交わしたのは、二三日が最後となった。手術後、千鶴子は血圧が上がらず、尿も出なくなり、危篤状態になった。
その後、一見回復したかに見え、人口呼吸器を取り外そうとしたが、できなかった。六月二六日、千鶴子は意識も薄れるようになり、二七日には意識不明となった。二八日には、担当医師らは家族に対し、もう打つ手がないと告げた。二九日午前一時二六分、千鶴子は第一回手術の操作の侵襲によって発症した術後膵炎による後腹膜膿瘍、後腹膜膿瘍による敗血症が原因となり、又はそれらがあいまって死亡した。
以上のとおり認められる。
三請求原因4(一)(1)(乳頭形成術施行の誤り)について判断する。
1 乳頭形成術の実施状況と適応条件について
鑑定の結果によると、次の事実が認められる。
(一) 乳頭形成術の一般的な実施状況及び学会における評価
乳頭形成術とはオツデイ括約筋を広く切除し、その機能を完全に廃絶させてしまう術式であり、一九五二年ジョーンズらにより再発性膵炎に対して最初に行われた手技であるが、その後、この適応は総胆管結石や肝内結石に変更されている。
日本での乳頭形成術の適応は、良性乳頭狭窄をきたした疾患や肝内結石遺残や総胆管結石の再発や遺残結石対策としての胆道付加手術として急速に普及し、昭和五三年に名古屋で開催された第四回日本胆道外科研究会での全国集計では、全胆石手術例のうち乳頭形成術を付加した割合は五ないし一五パーセントと報告されている。昭和五五年当時までにおいては、それ以後に比し、胆石症手術において比較的好まれて行われた術式である。
(二) 乳頭形成術の一般的適応症例・適応条件
この手技を日本で最初に施行した槇らは、乳頭部の良性狭窄、乳頭炎、総胆管内の結石充満、肝内結石遺残、総胆管遺残結石、再発結石の予防(胆泥・胆砂)、乳頭部嵌頓結石などを挙げている。
乳頭形成術を一〇〇例と多数経験した羽生らは、胆道再手術例のみならず初回手術にも適応を広げ、絶対的適応(現時点で本術式を行うべきと考えられるもの)、不適応(行う必要のないもの)、禁忌(絶対に行ってはいけないもの)に分けて述べている。それによると、絶対的適応は、胆石再発例、胆管内に胆砂、胆泥、小結石が多く遺残のおそれのあるもの、胆石随伴性慢性膵炎、総胆管拡張の高度(二センチメートル以上)であり、不適応は、総胆管拡張のないもの(一センチメートル以下)、総胆管内胆汁がきれいで、結石も表面がきれいなコレステリンの大きな結石のみであり、禁忌は、上部総胆管や肝内胆管に狭窄のある症例である。
2 本件症例への適応について
(一) 本件第一回手術の際、肝内胆管左側第一分枝直後に直径五ミリメートル位の石が一個、右側第二分枝直後に直径三ミリメートル位の石が一個嵌入して遺残していることが発見され、左側の石は鉗子で砕かれて砂片として遺残し、右側の石はその三分の二の大きさの遺残結石となったこと、また、術前のERCP所見では、総胆管は直径一五ミリメートルくらいで拡張があり、肝内胆管に異常はなく、乳頭部に狭窄は見られず、機能は正常であると認められたことは、前認定のとおりである。
(二) 本件症例について、鑑定の結果によると、次のとおり認められる。
(1) 遺残結石の予防としての、あるいは遺残結石の術後消化管内への墜落を期待しての術式としては、他に総胆管十二指腸側側吻合術があるが、右は、吻合部を通過して消化管内に結石が墜落せず、むしろ吻合部から乳頭部の間の下部の胆管内に結石や胆泥が詰まって胆管炎症状をきたすサンプ・シンドロームを生ずることがあり、あまり好まれない。
(2) 最近、遺残結石に対する処置として定着した術後胆道鏡による結石除去は、総胆管にTチューブを挿入し術後三ないし四週間後に胆道鏡検査を行い、結石遺残がある場合に胆道鏡下に鉗子を用いて結石を除去するものである。本件症例でも、手術記録には術後胆道鏡を意識してTチューブを置いたとあるが、当時においては術後胆道鏡による結石除去は少数の施設で行われているだけで、広く行われていたものではなく、また、鉗子類の工夫も少なく、肝内結石遺残では完全除去までに必要な施行回数も多く、それに伴い入院期間の延長が必要であった。以上のとおり、認められる。
そして鑑定意見は、本件症例において、遺残結石に対する処置として乳頭形成術を選択したことは、誤りとはいえないとする。
(三) また、乳頭形成術につき、当時発行されていた医学文献を見てみると、<書証番号略>は、一般的には、術後結石遺残のあるものについては比較的適応があり、著者らは、肝内結石で結石遺残再発のおそれのある例については絶対的適用としていることを指摘し、<書証番号略>は、胆管内に小結石、胆泥が多数あり、結石遺残の可能性のあるものを適応の一つとしている。なお、<書証番号略>は、コレステロール系石についての論述で、術中ラデイオマノメトリイによる観察によって完全に結石遺残を否定できれば、原則として施行する必要はないとしている。そして、本件においては結石遺残(直径五ミリメートルの石を砕いた砂片と直径二ミリメートル位の石)があることが明らかであったことは、前認定のとおりである。
一方、前掲各書証によると、いずれの文献の基準に照らしても、本件症例は禁忌とされる場合には該当しないことが認められる。
(四) ところで、医療の特質として、個体差の大きい患者の具体的症状に対しどのような診断をし、いかなる治療を行うべきかは、各事例に応じ極めて多種多様であるということができ、医学の現段階では、具体的診療に当たる医師に対して合理的な範囲内の自由裁量を認めざるを得ない。
<書証番号略>によると、昭和五三年発行の文献「日消外会誌」一一巻一一号中の「胆石症に対する十二指腸乳頭括約筋形成術の評価」が、その冒頭に「十二指腸乳頭括約筋形成術は胆石症に対する付加手術の一つとして、近年本邦において急速に広く行われるようになった。しかし、その適応に関しては報告者によりそれぞれ異なった考え方があり、一定せず、また術後遠隔成績も未だ充分な期間を経ていない報告が多く、今後長期にわたる追究により評価されるべきものと思われる。」と指摘していることが認められ、<書証番号略>によると、昭和四八年発行の文献「臨床雑誌外科」三五巻一二号中の「乳頭形成術の問題点」が、「本手術の適応決定は非常に大きな問題であり、現在までにも諸家により種々の適応に関する見解が発表されている。」と指摘していることが認められる。
このように本術式についても様々な報告があることからすれば、実際の臨床における適用場面について、担当医師らには合理的な範囲内において裁量があるというべきであり、この裁量の範囲を逸脱したと認められる場合に初めて、乳頭形成術の施行が適応を欠き違法性を帯びると解するのが相当である。
そして、証人江草康夫及び同相良正彦の各証言によると、本件では、肝内胆管に遺残した結石が将来、総胆管内に落下して再び総胆管内結石となる可能性が高く、胆管炎の続発や閉塞性黄疸などの合併症の発症が考えられるところ、総胆管内結石が乳頭部を通過して十二指腸へと自然に流れるならば問題はないが、今回、現実に結石が総胆管に詰まっていたこと、あるいは開腹の結果、胆管内にビリルビン結石も含まれていたことから、乳頭部に潜在的には機能的な狭窄が存在するとの診断の下に、十二指腸への自然落下は期待できないと判断し、再手術を避けるため、乳頭形成術を付加的に実施したことが認められるのであって、このことと前認定とを総合すると、本件における適応についての前示鑑定意見は相当であると認めることができる。そして、担当医師らが合理的な裁量の範囲を逸脱したとは、本件全証拠によっても認めることができない。
(五) もっとも、手術は本質的にそれ自体、人体に対する侵襲であるから、医師が付加手術の実施を決定する場合にも、当該付加手術に伴う合併症等の危険性を考慮しなければならず、医師の裁量は、当時の医療水準に照らし、これらの危険性を考慮してもなお付加手術を実施する必要性が肯定できる場合に限り、合理的な範囲内にあるというべきである。
ところで、急性膵炎ないし術後膵炎に関する当時の文献上、乳頭形成術に伴って術後膵炎が発症する危険性は必ずしも低率とは言い難い状況にあったこと、また重症型急性膵炎の予後が悪いことは、後記六1(一)及び(二)に認定のとおりである。
しかし、術後膵炎の発症率についての報告にかなり幅のあることもまた、後記認定のとおりである。
そして、乳頭形成術に関する当時発行済みの文献をみてみると、後記六1(三)に認定のとおり、乳頭形成術の問題点として術後急性膵炎の発症を指摘した報告があるが(<書証番号略>)、同報告は問題点を指摘した上、これを防止するための手技について言及し、同報告者らの症例(五三例)では、「急性膵炎の臨床症状を起こしたり、(血清アミラーゼ値が)長期にわたって異常値を示したものはない。」としており、同報告を全体としてみると、乳頭形成術について積極的な評価を下していることがうかがわれる。
また、<書証番号略>によると、昭和五一年七月発行の文献「現代外科学大系〔臓器別各論〕消化器」の「オツデイ筋の外科」の項の前文には、「外科臨床上、いわゆる十二指腸乳頭部手術については、一方では胆道の上行性感染や急性膵炎の発生など術後合併症をおそれるあまり、その適応を十分厳格に規定したうえで、なるべく慎重にこれを行うべしとする消極的見解がある。他方、これは胆道ドレナージを本旨とする以上、乳頭狭窄部を完全に除去してドレナージ効果を十分得るよう積極的に実施すべきであるとする見解とが、洋の東西を問わず対立し、なお完全な意見の一致をみるにいたっていない。」との指摘があるが、同論文自体は、オツデイ筋の形態面及び機能面について詳細に論じた上、十二指腸乳頭部手術に関する歴史的変遷をふりかえり、オツデイ筋の手術としては、括約筋形成術(乳頭形成術)が最も望ましいと結論づけたものであり、<書証番号略>によると、右論文の著者は、別の論文において、乳頭形成術を正しく施術すれば術後困難症はまずあり得ないものと考えられると述べ、著者の手術例一二八例中手術直接死亡例は一例にすぎないことを紹介し、安全な手術のひとつであるとの見解を示していることが認められる。
その他乳頭形成術の適応に関して、術後膵炎の危険性を特に指摘した当時の文献は見当たらない。
さらに、前記1(一)に認定した事実及び証人高田忠敬の証言を総合すると、本件当時の臨床医療の現場においては、乳頭形成術の施術に伴う膵への刺激による術後膵炎発症の危険性は、むしろ手技上の工夫や術前術後管理によって解消されるべき問題であるとし、乳頭形成術を施行することによる治療上の効果をより重視する傾向にあったものと推認することができる。
そして、弁論の全趣旨によると、前記(二)、(三)に認定した各適応基準も、施術上の危険性と施術による治療効果とを総合考慮した上得られた結論であると認めるのが相当である。
そうすると、結局、前記(四)説示のとおり、担当医師らの本件における乳頭形成術の適応判断が、当時の臨床医療の現場において、その裁量の範囲を逸脱したとまで断ずることはできない。そして、ほかにこの点を認めるに足りる証拠はない。
(六) 右のとおりであるから、乳頭形成術の施行の誤りをいう原告の主張は理由がない。
四請求原因4(一)(2)(乳頭形成術の手技上の過失)について判断する。
1 膵の一部切除について
第一回手術における乳頭形成術の際に、膵の一部が鉛筆の芯の先ほどの数片となって切り取られたことは、前認定のとおりである。
しかし、証人江草康夫の証言及び鑑定の結果によると、乳頭部を楔状に切除し、その形態が馬蹄型になるようにするためには、十二指腸壁外側胆管も一部切除せざるを得ず、この部は膵内胆管あるいは膵部胆管とも呼ばれ、膵組織内を貫通しているか側壁あるいは後壁で膵組織と接し、前者では当然に膵を一部切除することになり、後者では楔状に切除を進めると乳頭部の前壁のみならず側壁も切除するので、膵の一部を切除する可能性が高いことが認められる。
右事実によれば、通常、乳頭形成術においては、多かれ少なかれ、膵が同時に切除されることになるのは避けられないことであると認められる。そうすると、本件で施行された乳頭形成術において前記の程度の膵の小片が切り取られたことは、同手術に通常随伴する結果としてやむを得ないことというべきである。
したがって、膵の一部切除をもって手技上の過失とする原告の主張は、理由がない。
2 NDS計測検査の要否
担当医師らが、乳頭形成術施行に際し、NDSの計測検査をしなかったことは、被告は明らかに争わないので、これは自白したものとみなす。
しかし、<書証番号略>によると、乳頭形成術の目的は、NDSを完全に破壊することであり、一般的には、NDSの計測は乳頭形成術において最低限切離しなければならない長さの目安を知るためにするものであるが、実際の手術においては馬蹄型の吻合口を得るまで乳頭部前壁の切離を進めればよいわけで、術前のX線像によるNDSの計測は必ずしも必要ではないこと、小野慶一教授らはNDSの状況を観察しその計測を行って手術適応の決定をするとしているが、同教授の執筆した昭和五一年七月二〇日発行の文献「現代外科学大系」の「オツデイ筋の外科」において同教授がNDSの計測の目的として記述しているところは、右と変わらないこと、同教授にしても、術前の胆道X線像でNDS計測の結果が一五ミリメートルであっても、実際の手術では馬蹄型の吻合口を得るために四〇ミリメートルの胆管切開を必要とした症例もあったことを報告していることが認められる。
したがって、NDS計測検査をしなかったことをもって手技上の過失とする原告の主張は、理由がない。
3 主膵管開口部にチューブを挿入することの要否
証人相良正彦の証言及び鑑定の結果によると、乳頭形成術の手術操作時に、主膵管の結紮や損傷の防止対策として、主膵管開口部にチューブを入れるのが原則的な方法であるところ、本件ではチューブをいれなかったことが認められる。しかし、鑑定の結果によると、膵管を十分に確認し、結紮したり針糸をかけるおそれのない場合には、チューブ挿入は必ずしも必要な措置ではなく、チューブを挿入せずに手術を行った例が論文でも紹介されていることが認められるし、また、証人相良正彦の証言によると、相良医師は、本件では膵管の開口部を確認することができたため、チューブの挿入までは行わなくても済むであろうと判断したことが認められ、<書証番号略>によると、解剖の結果、膵管に特に所見はなかったことが認められる。
したがって、主膵管開口部にチューブを挿入しなかったことは、別段、江草医師の手技の不適切さを推認させるものではない。
4 また、証人江草康夫、同相良正彦、同鳥居有人の各証言によると、第一回手術で執刀した江草医師は、本件で初めて執刀医として乳頭形成術を施行したことが認められる。しかし、右各証言によると、江草医師は、昭和五一年三月神戸大学医学部を卒業し、同年七月一日付で本件病院の研修医となり、昭和五三年七月一日付で本件病院外科のレジデントとなり、以来本件病院の外科所属として勤務していること、本件までに胆のう摘出、総胆管切開の手術を四〇例ほど経験しており、乳頭形成術については助手としての経験は有していたこと、第一回手術で第一助手を担当した相良医師は、昭和四五年から昭和五五年当時までに、術者及び助手を含めて三〇〇件前後の膵及び胆道系統の手術の経験があり、乳頭形成術の施行例は、五、六例であったこと、手術は執刀医と助手の共同作業として行われることから、本件病院第三外科医長であった鳥居医師も、江草医師と相良医師の組合せであれば任せてもよいと判断していたことが認められ、また、膵頭部の切除、NDSの計測及び主膵管のチューブ挿入については前認定のとおりであるから、江草医師を執刀医とした担当医師らの判断が適切を欠いていたとまではいえない。そして、江草医師の乳頭形成術の手技についても、初心であるが故の不慣れな点はあったとしても、それが拙劣であるとか、不適切であったと認めるに足りる証拠はない。
五右にみたところによると、本件術後膵炎の発症原因について判断するまでもなく、その発症の責任について原告らの主張するところは理由がない。
なお、他の主張との関係もあるので、請求原因4(一)(3)(本件術後膵炎の発症原因)について、以下に判断することとする。
1 <書証番号略>によると、術後膵炎の発症原因としては、直接あるいは間接的な膵組織への手術侵襲が最も考えられ、その他、肝胆道系及び胃、十二指腸の手術による乳頭部の浮腫や副膵管の損傷、内臓神経刺激、静脈血栓などによる膵の血流障害、術後の腸管まひによる十二指腸内圧の亢進、胆汁の膵管内逆流、細菌感染による膵及び膵近接臓器の炎症などが考えられること、さらに術中胆道造影時の注入圧を問題とする報告例あるいは直径三ミリメートル以上の拡張器を無理に乳頭部を通過させることによる機械的損傷、ロングアームTチューブによる膵管の閉塞も原因として揚げ、術後のトリプシン抑制遺伝子(トリプシン・インヒビター)の低下が膵炎発生の一因となるとする報告例があること、また、麻酔薬や鎮痛剤等の薬物によるオツデイ筋のけいれんなども膵液流出障害をきたして膵管内圧を亢進させ膵炎を増悪させることが考えられることが認められる。
鑑定の結果によると、術後膵炎発症の原因及び機序について、乳頭形成術に関するものとしては、膵損傷や十二指腸内容の膵管内逆流などの説が挙げられているが、いまだ明らかにされていないところが多いことが認められる。
また、<書証番号略>によると、腎臓移植や心臓手術等腹部以外の臓器の手術後にも術後膵炎の発症が報告されており、術後膵炎の発症は多彩であり、単なる膵損傷のみに止まらない点が指摘されていること、しかし、膵実質や膵管の損傷、乳頭部障害、膵循環や膵神経系障害などの上腹部手術後に多く発生することも認められる。
さらに、<書証番号略>によると、二二万八〇〇〇回に及ぶ各種の手術の術後0.03パーセントに膵炎が発生し、膵及び膵周辺の手術に続発したものは、膵に無関係な手術後に発生したものの一〇〇倍の高頻度であったとの報告のあること、膵周辺の手術としては、胃手術、胆道手術、脾摘出術後に発生することが多いこと、胆道手術後膵炎の発生頻度は0.2ないし4.1パーセントで、胆のう摘除術に比して総胆管切開術など総胆管検索症例に発生頻度が高く、ロングアームTチューブ使用例や乳頭括約筋切開術又は形成術後では発生頻度がいっそう高いとの報告例があることが認められる。
2 膵組織の直接損傷が、術後膵炎の重要な発症原因とされていること、本件第一回手術における乳頭形成術の際、膵の一部を切除したことは前認定のとおりであり、<書証番号略>によると、解剖の結果、膵頭部に限局した脂肪壊死があるが、膵体及び膵尾部にはなく、このことから、本件術後膵炎は膵頭部に外科的侵襲が加えられたための二次的なものであり、これが膵酵素脱出を惹起したものと推測され、周囲組織、後腹膜腔消化により二次的膿瘍となったものであるとの結論が示されていることが認められる。
しかし、証人大網弘の証言により真正に成立したものと認められる<書証番号略>及び同証言によると、解剖の結果限局した脂肪壊死の見られた部位は、膵頭部のうち十二指腸の裏側に当たる部分であり、乳頭部からは約二センチメートルほど離れていることが認められ、また、証人江草康夫の証言及び鑑定の結果によると、乳頭形成術の際一部が切除された膵の部位は、膵内胆管あるいは膵部胆管が膵組織内を貫通しているか又は膵組織と接している部分であると推認され、したがって、脂肪壊死の見られた部位からは約二センチメートルほど離れていたと推認される。さらに、<書証番号略>及び証人大網弘の証言によると、乳頭部には膿瘍の形成は見られなかったことが認められる。
以上を総合すると、乳頭形成術時の膵の一部切除が、本件術後膵炎の発症に影響を与えた可能性は否定できないが、これが主因であることについての高度の蓋然性を推認するには足りないというべきである。
3 乳頭部の浮腫が術後膵炎発症原因として考えられることは前認定のとおりであり、<書証番号略>及び証人相良正彦の証言によると、膵炎の発生機序として、乳頭部の浮腫と出血が主膵管の閉塞・狭窄を生じ、膵液が膵管内に停滞し、膵管内圧が亢進し膵酵素の間質内逸脱を生じ、膵炎を惹起するといわれていること、また、胆道や十二指腸の炎症あるいは刺激により括約筋のけいれんや、乳頭部の浮腫を起こし、胆管と膵管とが共通管を構成して、胆汁の膵管内逆流を生じ膵炎を発症するという機能的共通管説も存在することが認められる。そして、本件で第一回手術の乳頭形成術後、乳頭部に造影剤の通過がほとんど見られず、浮腫が発生したと考えられたこと、第一回手術後第三病日に施行したTチューブ造影の結果乳頭部の通過は良好であったことは、前認定のとおりである。
しかし、他方、<書証番号略>によると、剖検の結果、膵管に拡張は認められず、膵管閉口部にも異常がなかったことが認められ、また、乳頭形成術後千鶴子に発生した浮腫が一過性のものではなく数日間継続したことを認めるに足りる証拠はないから、右各認定事実のみをもってしては、乳頭部の浮腫による胆汁の膵管内への逆流あるいは膵液の膵管内停滞が本件術後膵炎を発症したことについて高度の蓋然性を推認するに足りない(本件病院の担当医師らが、第三病日まで乳頭部の通過の検査をしていないことをもって立証責任を転換することは相当でない。)。
4 前認定の各事実に、<書証番号略>、証人江草康夫、同相良正彦の各証言を総合すると、本件術後膵炎は、第一回手術における胆のう摘出術、総胆管切開術、乳頭形成術、Tチューブ誘導術等の手術操作のうち、膵に近接する手術操作の一部による侵襲によって発症したと推認するのが相当である。証人大網弘の証言のうち右認定に反する部分は採用しない。
第一回手術前に予定していた手術時間が三、四時間であったことは、前認定のとおりであり、証人江草康夫の証言によると、通常はその程度の時間で済むことが認められるが、先に認定した事実を総合すると、本件では、術中に肝内胆管の結石が発見され、完全に取り出すことができず、付加手術として乳頭形成術を実施したこともあって、当初の予定をはるかに超えた約七時間という時間を要したものと認められる。そして、手術時間が長ければ長いほど身体に対する負担も大きいことは明らかであるといえるが、このことと、術後膵炎発症との間に明白な関係があることを認めるに足りる証拠はない。
5 なお、被告は、千鶴子には臨床的検索によっては把握し得ない膵実質の高度な動脈硬化症による動脈の狭窄のため虚血性変化が動脈の末梢部に発生し、それにより重篤な壊死性膵炎に移行したと主張するが、鑑定の結果によると、膵の動脈硬化症は見られるが、本件の術後膵炎の発症ないし増悪に関与したとは考えられないこと、膵の動脈硬化症と壊死性膵炎、浮腫性膵炎についての関連については明らかにされていないことが認められるから、右主張にかかる事実を認めることはできない。右認定に反する証人大網弘の証言は、採用することができない。
六請求原因4(二)(膵炎発症に対する予防義務・早期発見義務)について判断する。
1 注意深い術前・術後管理の必要性について
(一) 急性膵炎の予後
<書証番号略>を総合すると、重症型の壊死性ないし出血性膵炎の死亡率は、五〇パーセント以上と、極めて高く、中でも術後膵炎は予後が悪いとされ、さらに、年齢五五歳以上の患者の場合には死亡率が高いこと、及び急性膵炎の重症例の治療の困難性が認められる。
かような急性膵炎の予後の悪さに鑑みて、<書証番号略>によると、昭和五三年三月発行の文献「内科シリーズ膵炎のすべて」は「急性膵炎の予後を向上させるには、本症の局所的ならびに全身的病態が増悪する前に、早期に診断して早期に治療を開始することが重要であることはいうまでもない。」と指摘し、また<書証番号略>によると、昭和六〇年発行の文献「膵臓病教室」は、「急性膵炎はできるだけ早く診断し、治療にかからなければならない。すぐに治療も開始されないと間に合わないことがある。重症型急性膵炎は発病後三日から七日以内に死亡することが多いのである。」とも指摘していることが認められる。
(二) 術後膵炎の発症頻度
<書証番号略>によると、昭和五四年六月発行「消化器外科 術前・術後管理必携」中の「術後膵炎」には、「著者らは最近五年間に中等症以上と診断された術後膵炎一〇例を経験したが、原疾患は胆石症、レイウスや胃がんであり、乳頭形成術を含む胆道手術、腸管切除を含むイレウス手術および膵脾合併切除を伴う胃全摘出術が実施されている。」との記述があり、胃十二指腸手術で一二三分の一、総胆管検索で三〇一分の一に術後膵炎の発生を認めたとの報告例、良性潰瘍の幽門側胃切除例における本症の発生率が0.8パーセントであったとの報告例、胆道手術の八四〇例中三四例(四パーセント)、及び胆道手術の一五パーセントに術後膵炎の発生をみたとの各報告例、全急性膵炎に対する術後膵炎の割合を一三パーセントに認めた報告例あるいはこれを8.5パーセントに認めた報告例が紹介され、「原疾患別からみても、あるいは急性膵炎に本症が占める割合からみても、術後膵炎の発症頻度は低率とはいいがたい。」と指摘されていることが認められる。
<書証番号略>によると、文献「日本臨牀」の昭和五三年春季増刊号中の「術後膵炎」には、腹部手術群五八一例中四例(0.7パーセント)に術後膵炎がみられたとの報告があることが認められる。
また、前記のように<書証番号略>によると、文献「内科シリーズ 膵炎のすべて」中の「術後膵炎」には、二二万八〇〇〇回に及ぶ各種の手術の術後0.03パーセントに膵炎が発生し、膵及び膵周辺の手術に続発したものは、膵に無関係な手術後に発生したものの一〇〇倍の高頻度であったとの報告例があること、また、膵周辺の手術としては、胃手術、胆道手術、脾摘出術後に発生することが多いこと、胆道手術後膵炎の発生頻度は0.2ないし4.1パーセントで、胆のう摘出術に比して総胆管切開術など総胆管検索症例に発生頻度が高いこと、ロングアームTチューブ使用例や乳頭括約筋切開術又は形成術後では発生頻度がいっそう高いこと等の報告例があることが認められる。
(三) 乳頭形成術と術後膵炎
<書証番号略>によると、昭和四八年一二月号の「臨床雑誌・外科」中の「乳頭形成術の問題点」には、「本術式(乳頭形成術)の乳頭部操作で、一般に危険視されるのは、その解剖学的位置関係から、膵管開口部、膵実質あるいは膵管に対する副損傷であり、また術後急性膵炎の発症である。」と指摘されていることが認められる。また、当時の文献でも乳頭形成術施行後の処置として膵酵素剤の予防的投与の必要性が指摘されていたことは、後に認定するとおりである。
そして、術後膵炎の発症原因として膵損傷が最も有力なものであること、十二指腸の手術による浮腫も発症原因と考えられていること、本件では乳頭形成術の施行中実際に膵実質が一部損傷されたこと、乳頭形成術において膵の一部切除は避けられないことは、前認定のとおりであり、証人江草康夫の証言によると、乳頭形成術の執刀医である江草医師も乳頭形成術の性質上膵を一部切除している可能性のあることを承知していたことが認められる。また、本件では術後に乳頭部に浮腫が生じたことは前認定のとおりである。
(四) 以上(一)から(三)までに認定したところを総合すると、術後膵炎は、一般的に発生頻度の高い術後合併症であるとはいえないが、本件において行われた手術が総胆管検索を含む胆道手術であり、しかも乳頭形成術が付加して施行されたものであることに鑑みると、術後膵炎発症の危険性は低率であるとはいい難く、また、千鶴子の年齢等も考慮すると、重症型の術後膵炎が発症した場合には、死亡率に至る可能性が五〇パーセントを超える確率で存在することが予測し得たものと認められる。
したがって、診療契約に基づき第一回手術を実施し、その中で乳頭形成術を採用して施行した担当医師らとしては、当時の医療水準に適合した知識と技術をもって、術後膵炎発症の予防並びに早期診断、早期治療に最善を尽くすべき義務を負っていたというべきである。
2 術後膵炎の予防義務について
(一) <書証番号略>によると、昭和五四年四月二五日第一刷発行の「現代外科手術学大系」第一四巻中の「経十二指腸的括約筋形成術」には、術後療法として「膵臓への機械的刺激も少なくないため、トラジロール三〇万単位を数日間投与することも必要である。」との指摘があること、また、<書証番号略>によると、文献「消化器外科 術前・術後管理必携」中の「術後膵炎」には、膵への侵襲を回避することができない手術では、「手術前後における抗膵酵素剤の予防的投与、十分なドレナージおよび注意深い術後患者管理などが望まれる。」との指摘があることが認められる。
<書証番号略>によると、昭和五七年八月発行の文献「消化器外科」中の「消化器外科手術アトラス 経十二指腸括約筋形成術」には、「膵臓への機械的刺激も少なくないため、トラジロール、FOYなどを数日間投与することも必要である。」との指摘があることが認められる。
また、<書証番号略>によると、文献「内科シリーズ 膵炎のすべて」中の「術後膵炎」には、予防の第一は術中膵臓の愛護的な取扱であると指摘した上、「膵炎発生の危険性が予測される場合には、術後頻回の血中・尿中アミラーゼ測定による早期発見につとめると同時に、抗コリン作動薬を投与して膵の安静をはかる。」との指摘とともに「トランジロールの術後膵炎に関しては見解が一致してない。」との指摘があることが認められる。
さらに、鑑定の結果によると、乳頭形成術を施行した場合には極軽症のものから重症のものまで程度の差はあるが、術後膵炎発生の可能性は高いので、予防のための処置として急性膵炎に対する保存的治療を加味しておくことが望ましく、初回手術において十二指腸後面の膵頭部周囲からの膵液滲出に対する処置として同部にドレナージを置いておくことも大切であること、FOYはメシル酸がベキサートの商品名であり、急性膵炎の治療薬として広く臨床で用いられていることが認められる。
(二) 右に認定したところを検討すると、術後膵炎発症の予防策として、トラジロール、FOY等の抗トリプシン剤、抗カリクレイン剤(<書証番号略>により認める。)や抗コリン剤の予防的投与の必要が、文献上かなり指摘されていたと認められるが、抗コリン剤については、<書証番号略>によると、文献上、抗コリン作用薬の投与によって現実に膵炎の臨床経過が改善するという証拠はないとの指摘もされていることが認められ、トラジロールについては、前認定のとおり、文献上その効果について見解が一致していないとの指摘もあること、FOYについては、証人高田忠敬の証言によると、国際的には認められておらず、膵炎に対する効果について完全に認知されるまでには至っていないことが認められる。また鑑定の結果によっても、保存的治療(抗酵素剤の予防的投与等が含まれると考えられる。)を加味しておくことが望ましいとの指摘にとどまっている。したがって、前に認定したところによっては、これらの抗酵素剤の予防的投与が外科医療の臨床上の義務として確立されたものであったとまで認めるには足りず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。
(三) また、予防的膵床ドレナージについては、証人高田忠敬の証言によると、膵床ドレナージは、急性膵炎の治療方法としては当時一般的であったが、乳頭形成術の術後合併症が五ないし一七パーセントもあり、その中で膵炎も少なくなく死亡例もあるにもかかわらず、これを予防的措置として指摘した論文は見当たらないこと、授動術後のドレナージの方法としては本件で実施されたウインスロー孔のドレナージが最も一般的であったこと、急性膵炎の予防としての膵床ドレナージは、同証人(鑑定人)は望ましいものとして実際に行っているが、必ずしも一般的なものではないことを自認していることが認められるから、当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に照らし、確立されたものであったとまでは認められない。ほかにこのことを認めるに足りる証拠はない。
3 早期アミラーゼ検査義務について
(一) 膵炎の診断にアミラーゼ検査が有効であることは、当事者間に争いがない。
<書証番号略>によると、次のとおり認められる。
(1) 膵炎の診断の検査として、最も一般的に行われているのがアミラーゼ測定である(なお、正常値は、血清アミラーゼで四〇〇IU以下、尿中アミラーゼで一〇〇〇IU以下である。)。
(2) 血清アミラーゼ値は、膵炎の発症と同時ないし数時間で上昇し、一、二日で最高値に達するが、それ以後急速に降下する傾向にあり、数日以内に正常化する。
(3) 尿中アミラーゼ値は、上昇するのも正常化するのも血清アミラーゼよりも数日遅れる。
(4) ただし、壊死性胆のう炎、潰瘍穿孔等、急性膵炎以外の急性腹部疾患でも血清アミラーゼ値の上昇が見られることがあること、急性膵炎でも高脂血症が認められる場合等、血清アミラーゼ値の上昇を伴わない場合があること、採血時に既に高アミラーゼ血症が正常に復している場合があることから、完全に信頼性があるわけではない。
また、単なるアミラーゼ活性値の上昇は、すべて膵炎と結びつくものではないことが、今日アミラーゼアイソザイム分析の研究により指摘されている。
(5) しかし、膵炎を疑われた患者で血清アミラーゼ値が上昇している場合の誤診率は四パーセントにすぎないとの報告例もある。
(二) また、術後膵炎とアミラーゼ測定については、<書証番号略>によると、文献「内科シリーズ膵炎のすべて」中の「術後膵炎」には、「血中アミラーゼは手術施行例の一〇ないし三〇パーセントで異常高値を示し、通常術後一ないし二日で最高値に達する。膵炎の臨床症状を伴わない術後高アミラーゼ血症は唾液腺ないしは非膵由来のアイソアミラーゼの上昇によることが多い。」「膵炎発生の危険が予測される場合には、術後頻回の血中・尿中アミラーゼ測定による早期発見につとめる」との指摘があり、<書証番号略>によると、昭和五二年発行の文献「新内科学大系」第二五巻「膵疾患」には、術後膵炎について記述した部分において、「血清および尿アミラーゼの測定は一般の膵炎におけると同様な診断価値を有するが、開腹術の影響により明らかな膵炎がなくても、アミラーゼの上昇を示すものが少なくないといわれているので、その判定には一般の膵炎以上に慎重さが必要である。」「一般にアミラーゼの上昇程度と膵炎の重症度は必ずしも比例しないとされ、また重症膵炎でもアミラーゼ上昇を認めないことがしばしばあるので、膵炎の診断にはアミラーゼの上昇のみでなく、その推移と臨床症状およびその経過とを同時に考慮して診断すべきである。」との指摘があることが認められる。
(三) 以上認定したところを総合すると、アミラーゼ検査は、必ずしも完璧な検査とはいえず、特に術後膵炎の診断の場合には、他の原因により上昇することが少なくないわけであるが、なお、診断の重要な資料となることは間違いなく、担当医師らも膵炎を疑った段階でその判定のために用いていることが明らかである。そして、証人江草康夫の証言によると、右検査は簡便に行えるものであることが認められる。したがって、前認定のように、診療契約に基づき第一回手術を実施し、その中で乳頭形成術を採用して施行した担当医師らとしては、当時の医療水準に適合した知識と技術をもって、術後膵炎発症の予防並びに早期診断、早期治療に最善を尽くすべき義務の一内容として、アミラーゼ検査をも加味した術後管理を行う義務があったと認めるのが相当である。
(四) ところで、担当医師が、六月九日に術後膵炎の発症を疑い、一〇日にアミラーゼ検査を実施し、血清アミラーゼ五九一、尿中アミラーゼ三三四五との検査結果と臨床症状を総合し、術後膵炎発症と診断したことは、前認定のとおりである。そして、<書証番号略>によると、翌日の一一日には、血清アミラーゼ二六一、翌々日の一二日には、尿中アミラーゼ七九二と、いずれも正常値範囲内に収まっていることが認められ、前記(一)認定のアミラーゼ上昇の特質に鑑みると、第一回手術後第二病日の八日、あるいは第三病日の九日には、一〇日の測定値を超える異常高値となった可能性は否定できない。また、証人鳥居有人が、第二回手術前の所見について、臨床的に視診、触診、聴診では膵炎の典型的症状は全くなく、ただアミラーゼが高くなっていることが問題であった。しかし、高いといっても正常の限界の二倍以上は高くなっておらず、少し高くなっているだけであったという趣旨の供述をしていることからも、江草医師が何か変だと疑問を抱き始めた術後第一病日から直ちにアミラーゼ検査を実施したならば、あるいは、担当医師らの判断及び治療の点で、本件と異なる経過をたどることとなった可能性もないではない。
しかしながら、担当医師らも一応、一〇日にはアミラーゼ検査を実施して膵炎の発症を診断していること、一〇日以前のアミラーゼ高値については、可能性があるという以上のものを認めるに足りる証拠はなく、さらに、<書証番号略>によると、血清・尿アミラーゼ値は重症度や予後との間に関連を示さないことが認められることからすると、アミラーゼ検査の早期実施により本件死亡を避けられたはずであるという点については、本件全証拠と経験則によっても直ちにこれを認めることはできない。
したがって、この点に関する原告らの主張は理由がない。
七請求原因4(三)(1)、(2)(膿瘍又は膿瘍状貯留の発見義務)について判断する。
1 後腹膜腔膿瘍形成の時期
(一) 千鶴子の容態は、第一回手術後第二回手術に至るまで時間の経過とともによくなるどころか、発熱、圧痛、頻脈、下痢、腹部膨満等の炎症症状が継続し、白血球数は増加して一万以上の状態が継続していたこと、術後第五病日の六月一一日には、体温は39.8度まで上昇し、悪感・戦慄を伴い、呼吸頻数、頻脈で、腸雑音は活発だが下痢も頻回みられ、背部痛(第一病日の六月七日から見られた。)も継続し、腰痛も見られ、腹部は膨満し、側腹部から右の側上腹部にかけて皮膚の発赤あるいは浮腫が著明となり、白血球数は二万六二〇〇になったこと(証人高田忠敬の証言によると、正常値は四〇〇〇ないし八〇〇〇であることが認められる。)、第二回手術後も白血球数は一万を下ることはなく、同月一六日から一九日にかけては二万を超え、発熱、下痢、腹部膨満、浮腫、発赤といった臨床諸症状を継続し、第三回手術の結果、後腹膜腔から約二〇〇〇CCの膿が排出されたことは、前認定のとおりである。そして、<書証番号略>及び鑑定の結果によると、千鶴子には第一回手術後から低蛋白血症が見られたが、右は膵炎に伴い多量の蛋白成分が後腹膜腔に貯留したことを示すものであることが認められ、また、証人高田忠敬の証言によると、後腹膜は腹膜の後ろに存在し、筋肉や動脈等の硬い臓器があるため膿瘍は一度に急激に広がることは少なく、徐々に組織を押し広げて広がるものであることが認められる。
これらの事実と鑑定の結果及び証人高田忠敬の証言を総合すると、第一回手術後の術後膵炎の発症により後腹膜腔の感染創が次第に膿瘍化され、遅くとも六月一一日には後腹膜腔に膿瘍状の貯留の形成があったと認めるのが相当である。
また、証人鳥居有人の証言によると、鳥居医師は、第二回手術施行の決定に際し、第一回手術後の経過に照らし、特に右側に浮腫がひどく、一般に浮腫は深い所に膿瘍等がある場合の主症状であることから、深い所に膿瘍があると判断したことが認められる。
ところで、第二回手術が右側上腹部に限局性膿瘍があるとの予想のもとに行われたこと、しかし開腹した結果、右部位に膿瘍の形成は認められなかったことは前認定のとおりであって、膿瘍は、第二回手術の実施を決定した医師らの予想に反して、右上腹部ではなく後腹膜腔に形成されつつあったと認めるのが合理的である。
証人相良正彦は、第二回手術後の診断として、術前診断の腹膜炎の原因は胆汁の漏出であると供述し、証人江草康夫も、第二回手術で開腹したところ顕著な膿の貯留は見られなかったが膿苔の付着が見られたことから、Tチューブ挿入部上縁から胆汁が漏出し膿が貯留したことが腹膜炎症状の原因であるが、第二回手術の前日にサンプチューブによって吸引したため開腹時には見られなかっただけであり、診断として誤りはなかったと供述する。しかし、証人高田忠敬が第二回手術は何を疑って開腹し何をしたことになるのだろうかと指摘しているように、第二回手術前の千鶴子の炎症症状が手術の前にサンプチューブで吸引できる程度の膿によるものにすぎなかったのであるならば、担当医師らが乳頭形成術の実施に際して再手術の困難性から再手術を避ける必要性を強調していること(証人江草康夫及び同相良正彦の各証言により認められる。)と比較しても、第二回手術に踏み切ったこと自体が疑問視されるところである。また、第二回手術後の術後経過としても、証人高田忠敬の証言によると手術後の集中管理に見られる以上の改善は見られないと認められることからしても、鑑定の結果及び証人高田忠敬の証言のとおり、第二回手術実施を決定させた炎症症状の原因は後腹膜腔にあったと考えるのが合理的である。
さらに、<書証番号略>及び証人江草康夫の証言によると、江草医師自身、六月一一日、カルテに千鶴子の炎症症状について、乳頭形成術部からの十二指腸液、胆汁あるいは膵液の後腹膜腔への漏出があり、それが膿瘍を形成しているのではないかと疑っている趣旨を記載していることが認められる。
右事実からしても、遅くとも六月一一日から、後腹膜腔の感染創が膿瘍化していたと認めるのが相当である。
証人江草康夫及び同鳥居有人は、第二回手術時までに膵頭部の裏側に膿の貯留があれば、十二指腸外側の腹膜の切開部を覆っていた膿苔を剥がしたところから膿の流出があるはずであるが、流出は見られなかった旨供述する。しかし、他方において、右江草証人は、第一回手術時にコツヘルの授動術により十二指腸及びその内側にある膵頭部を起こしたところを、第二回手術で再度授動して後腹膜腔膵頭部の裏側を検索すれば、後腹膜に膿があるかどうかわかるはずであるが、危険を感じたためあえて深く検索せずにとどめた旨供述しているし、また、右鳥居証人の証言によると、第三回手術時に形成されていた後腹膜腔膿瘍は第二回手術時に十二指腸外側(膿苔を剥がした部分)に入れたドレーンから離れた場所にあったと認められるのであって、このことからすれば、前示供述は右の認定を覆すに足りるものではない。
右認定に反する証人鳥居有人の供述は、鑑定の結果に照らし、にわかに採用することができない。
(二) ところで、<書証番号略>によると、重症膵炎一八例のうち、腹腔内や消化管の大量出血が七例に認められ、そのうち一例を除いては、出血はいずれも三週以内に発生したとの事例のあることが認められるが、これは、右報告例において、腹腔内出血が晩期に発生する可能性が高かったというにとどまり、カルテ等により千鶴子の臨床経過を具体的に検討した本件鑑定の結果を覆すには足りない。
<書証番号略>によると、昭和六三年発行の文献の中で、「後期の膿瘍形成」の指摘のあることが認められるが、右指摘が、膿瘍は後期に至るまでは発生しないとの趣旨を含むものであるかは不明であり、前認定を覆すに足りるものではない。
(三) この点につき、被告は、腹部前面の右側上部の浮腫や発赤は、右側腹部又は右側腹部から右側上腹部にかけての炎症を推測させる所見であると主張するが、証人高田忠敬の証言によると、後腹膜腔に炎症がある場合にも、浮腫及び発赤は背部に生じるとは限らず、側腹部あるいは臍の回りに生じることさえあることが認められる。
被告はまた、第二回手術前の低蛋白血症を含めた臨床所見は、膵炎と右側腹部の腹膜炎によって十分説明できるものであったことから、後腹膜腔膿瘍の形成はなかったと主張するが、第二回手術前の本件の炎症所見について被告主張の説明が可能であることは、同じ炎症所見について後腹膜腔の膿瘍化として説明することと矛盾するものではないし、前認定のとおり、担当医師らは、第二回手術前の臨床所見から膵炎と右側腹部の腹膜炎が発症していると判断し、右側上腹部に膿瘍の形成を疑って第二回手術を実施したところ、そこには膿瘍の形成は認められなかったのであるが、第三回手術の際は約二〇〇〇CCもの膿が排出されたこと、及び術後膵炎による広汎高度な後腹膜腔の膿瘍形成という解剖結果等を考え併せれば、前記鑑定の結果は十分に納得のできるものであり、被告の主張はさきの認定を覆すに足りるものではない。
また、第二回手術後に全体として千鶴子の腹部所見は改善されたとする被告の主張については、<書証番号略>によると、改善されたとはいってもわずかなものであり、全体として炎症所見が継続していたことには変わりがないから、右事実も前認定を動かすものではない。
さらに、第二回手術時に後腹膜腔に膿瘍や膿瘍状貯留が存在したとすれば、何日間も後腹膜腔の一部に限局していることはあり得ず、速やかに拡大し全身状態の急速な悪化をきたすことは必至であるとの被告の主張は鑑定の結果及び証人高田忠敬の証言に照らし、にわかに採用することはできない。
2 CT検査義務ないし超音波検査義務
(一) CT検査義務
<書証番号略>によると、昭和五五年当時、被告病院には全身用CTが設置されていたこと、昭和五五年九月一日発行の「医療」増刊号あるいは昭和五五年四月一〇日発行の「日本医学放射線学会雑誌」増刊号に、第四世代のアートロニックス一一二〇全身用CTスキャナーシステムを使用して横断画像を再構成し、前額方向、矢状方向の画像としての検討を行うことにより、膵癌など膵疾患等の診断にも有用性を見出したとの本件病院第一放射線科医長藤井恭一らの研究発表の報告が掲載されていることが認められ、また、<書証番号略>及び証人高田忠敬の証言によると、高田忠敬らは、昭和五五年ころから、帝京大学において急性膵膜炎の重症度判定にCTを用いていたことが認められる。
しかしながら、<書証番号略>によると、昭和五五年当時、被告病院に設置されていた全身用CTは、アートロニックス一一二〇全身用CTスキャナーシステムで、第三・五世代ないし第四世代のものといわれ、解像力は芳しくなく、横断画像をコンピューターにより再構成して前額断面像、矢状断面像を作製することが画質不良を補正する唯一の方法で、この画像は頭部と異なり、身体の動き、呼吸、心膊動などの影響を強く受けるため、重症で種々の生命維持装置を付着した患者の撮影は困難であったこと、当時本件病院の全身用CTの適応患者は、胸部、肝臓、腎臓などの動きの少ない臓器疾患の者で、小さな副腎、膵臓などの臓器疾患の者は通常の適応とされていなかったこと、藤井恭一の発表した膵癌の症例は、自覚症状もない患者の症例であり、同人も重症患者への適応は考えていなかったこと、第四世代のCTはその画質の悪さから全く利用されなくなり、生産も中止されたこと、本件病院でも、昭和五九年になって新たにGEの全身用CTを購入したことが認められる。また、証人高田忠敬の証言によると、膿瘍等腹部の疾患を把握できるようになったのは、GEの器械が入ってからであり、帝京大学には昭和五五年当時GEの器械が設置されていたことが認められる。そして、同証人は、CT検査には被爆の問題、時間の問題、また全身状態の悪い患者を検査時間中放置しておかなければならないこと等から、性能的に信頼できないCTの場合にはあえて実施しないのが通常であろうとの見解を述べている。これらの事実に照らすと、第一回手術後の経過が悪く炎症状態の見られた千鶴子に対し、解像力がそれほど期待できない本件病院の全身用CT検査を行うことが適当であったかどうか疑問といわざるを得ず、本件病院に設置されていたCTの性能、千鶴子の臨床症状に照らし、第二回手術前にCT検査を実施すべき義務があったと認めるのは相当でない。
(二) 超音波検査義務
証人高田忠敬は、昭和五五年当時、超音波検査は次第に広まってきており、超音波検査を試す価値はあったと思うけれども、当時の器械は現在ほど解像力がなく、胆石は診断できるがその他は全く分からないというものも多く、また続影する技能を持った医師がいるかどうかによっても異なるという、客観性に乏しいものであったため、本件で超音波検査の実施により診断がついたかどうか分からないと証言し、また、証人相良正彦は、超音波検査によって膵臓の異常を判断することができる場合があることは認めるが、昭和五五年当時の器械の性能の点、また、患者の身体の問題として術後は大腸の中の腸管の麻痺により空気が多く、脂肪組織も診断能を低下させるため、本件で超音波検査を実施したとしてもどの程度の情報が得られたかは疑問であると証言している。そうすると、本件で超音波検査を実施したとしても、後腹膜腔の状態を診断し得たかどうかは不明であり、また、本件において超音波検査を実施すべきことが、当時のいわゆる臨床医学の実践における医療として確立していたものと認めることはできない。
なお、<書証番号略>によると、昭和五五年和歌山県立医科大学消化器外科において、超音波診断により後腹膜腔膿瘍形成を認め手術に成功した事例のあることが認められるが、右大学病院における一報告例をもって、本件のような症例に腹部超音波検査を施行することが実践としての医療水準であったと認めることはできず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。
八請求原因4(三)(3)(膿瘍又は膿瘍状貯留に対するドレナージの義務)について判断する。
1 本件術後膵炎の臨床所見と診断
(一) 術後膵炎ないし急性膵炎に関する文献上の指摘<書証番号略>によると文献「消化器外科 術前・術後管理必携」は、術後膵炎の臨床所見と診断につき、「これまでの報告では、手術当日から一〇日以降まで発症日は及んでいるが、手術当日から三ないし四日までの早期発症例が多い。初発症状としては、心窩部、上腹部及び背腰部の疼痛、腹部膨満、嘔気・嘔吐、発熱、黄疸、ショックあるいは尿量減少などが記載されており、これらは原疾患の手術様式に左右されない。すなわち、初期の急性膵炎症状と同様であるが、膵炎の合併症の所見をもって発症する例もあり注意が必要である。」と記述し、T字管挿入胆道手術例において、術後二、三日目に胆汁量の増加をもって発症し、次の二日間にその減少をみたとの報告例、胆道手術後の腹水の多量排出の報告例、さらに臨床症状及び所見につき、疼痛、嘔気、発熱や虚脱などがほとんどの症例にみられ、頻脈、低血圧、腹部の抵抗及び乏尿などの理学的所見も過半数以上の症例に認められたとする報告例、臨床、再開腹及び剖検の各診断例において疼痛が七一ないし九〇パーセント、腫瘤触知が一四ないし五七パーセント、黄疸が三〇ないし八六パーセント、ショックが一四ないし四三パーセントにみられたとする報告例、発熱、腹部の疼痛や抵抗、黄疸、イレウスなどの報告例、また、重症例において疼痛、消化不良、衰弱、圧痛、皮膚知覚過敏帯などが多いことを示し、臨床所見の重要性を強調する報告例を紹介した上、術後早期における腹部所見の判断は時に困難であるとして、上腹部に抵抗所見が得られるとしても、しばしば著明ではなく、日により変わると述べている報告例を紹介しており、また、「白血球の増加が術後膵炎に見られることはいうまでもない。術後早期では特に白血球数増加の程度とその経時観察が必要であるが、重症例のうちには異常高値(一万五〇〇〇ないし五万/mm3を示すものがかなりあるという。また、白血球数増加所見は診断に有益であるのみならず、予後や重症度の判定資料となる」として、これらに関する報告例のあることを紹介していることが認められる。
また、<書証番号略>によると、昭和五五年七月発行の文献「からだの科学」中の「急性膵炎」には次のように指摘されていることが認められる。
最も重要な症状は上腹部痛で、ほぼ全例にみられ、背部に放散したり、経口摂取によって増悪する。重症になると、チアノーゼ、冷汗などのショック症状や、呼吸困難、精神症状が出現する。
他覚所見としては、循環血液量の減少による脱水と頻脈、上腹部の圧痛さらには筋性防御、腸雑音の消失、腹水や胸水の貯留、皮膚病変としては血性腹水の漏出による青色斑で側腹部に現れるものと、臍周囲にみられるものがある。細菌感染が加わると三八度以上の発熱が起こる。
急性膵炎では白血球数が増加する。GOTの上昇は約四〇パーセントに認めている。しかし、白血球数やGOTの上昇の程度と膵病変の程度は必ずしも平行しない。これに対して、血糖値や血中尿酸窒素(BUN)の上昇、血清カルシウムや動脈血酸素分圧の低下は重症例に多くみられている。これらの検査成績から膵炎の重症度を判定する試みがいくつかなされているが、その一つであるランソンの判定によると、(1)五五歳以上、(2)血糖値二〇〇mg/dl以上、(3)白血球数一万六〇〇〇/mm3以上、(4)LDH七〇〇単位/ml以上、(5)GOT二五〇単位/ml以上、さらに四八時間の治療で、(6)ヘマトクリット値が一〇パーセント以上低下するもの、(7)血清カルシウム値が八mg/dl以下、(8)ベース・デフィシットが四mEgl以上上昇するもの、(9)BUNが四mg/dl以上上昇するもの、(10)体液の血管外への喪失が六l以上であるもの、(11)動脈血酸素分圧が六〇mgHg以下のものの一一項目を挙げて、三項目以上陽性のものは重症であるとしている。
さらに、<書証番号略>によると、昭和五三年六月発行の文献「最新の外科診断と治療」には、急性膵炎の症状について、「重症度に従って、高度の脱水、頻脈、起立性低血圧などを呈する。腹部を診断すると、腸雑音が減弱ないし消失し、圧痛が認められる。これは腹部全体にみられることもあるが、上腹部に限局している場合の方が多い。合併症のない患者では、体温は通常平熱が微熱である。」「中等度の白血球増多症がみられるが、化膿性病変が合併しない場合には、白血球数が一二〇〇〇/μlを越すことは稀である。」との指摘があることが認められる。
<書証番号略>によると、文献「膵炎のすべて」中の「術後膵炎」には、術後膵炎の症状について、「術後二四時間以内の発症がもっとも多く、大部分は一週間以内である。」「一般の急性膵炎と変わらないが術後の一般的な症状で覆い隠されているあいだに進行して重篤となって診断されることが多い。施行された手術から予想される術後経過に比して状態がわるい場合には術後膵炎を疑う必要がある。とくに術後経過中にショック、頻脈、乏尿ないし無尿、手術に不釣合な強い腹痛、黄疸、説明しがたい発熱、上腹部腫瘤、進行性のレイウスなどが出現した場合には膵炎を疑って血中・尿中アミラーゼを頻回に測定すべきであろう。」との指摘があることが認められる。
<書証番号略>によると、「医学大辞典」では、「急性膵炎」の項において次のとおり解説していることが認められる。「急性膵炎は浮腫性、出血性、壊死性とあり、突然に高熱、上腹部激痛、嘔気・嘔吐、背部痛があり、疼痛によりショックになることがある。」「壊死性では胸水、腹水、乏尿、ショック、肝・腎・心障害、消化管出血などにより重態となり死亡することがある。膵は壊死により膿瘍を形成し、仮性嚢腫をつくる場合もある。」
(二) 担当医師らの診断経過
(1) <書証番号略>、証人江草康夫、同相良正彦及び同鳥居有人の各証言によると、次の事実が認められる。
第一回手術後第一病日(六月七日)、側腹部のドレーンから、漿液性の褐色あるいは灰色の滲出液がかなり多く認められたため、江草医師は胆汁あるいは膵液の関与があるかもしれないと考え、また、同日千鶴子から訴えられた背部痛については、手術を行いやすくする目的で背中に板(背板)を敷いたためであろうと考えた。
しかし、術後第三病日(六月九日)になっても背部痛が持続していたため、背板のほか、膵炎も疑い、翌日にアミラーゼ測定をすることとした。
術後第四病日(六月一〇日)、アミラーゼ検査の結果に明らかな上昇が認められたので、膵炎と診断したが、同日の白血球一万五五〇〇という高値については、前日に行ったTチューブ造影のためであると判断した。
また、術後第五病日(六月一一日)には、右外側に腹膜炎が発症しているとの判断のもと、翌日再手術をすることにしたが、同日のカルテの記載によると、腹膜炎の原因としては、十二指腸切開部の穿孔、あるいは乳頭形成術部から後腹膜腔への漏出による膿瘍との記載があり、証人江草康夫の証言によると、漏出するのは十二指腸液、膵液ないし胆汁等であると認められる。
翌六月一二日のカルテの記載によると、第二回手術前の鳥居医師の診断は、十分にドレナージされていない腹腔内膿瘍の疑いで再手術するというものであり、十二指腸から漏れているのであろう胆汁をドレナージするという方針であった。
(2) <書証番号略>及び証人江草康夫、同相良正彦の各証言によると、六月一五日(第二回手術後第三病日)のカルテには、相良医師、坂本医師、田村医師、江草医師の協議の結果として、「術後膵炎」との記載があり、「術後の経過を再度考えなおしてみると、背部痛、浮腫、脂肪壊死、低蛋白症、カルシウムの低下、第四病日の血清中尿中アミラーゼの上昇を総合的に考えた結論」とされていること、その趣旨は、第二回手術でドレーンを追加したにもかかわらず、その後第三病日になっても十分に解熱しないということは、この病変の主体はやはり術後膵炎なのかと考えたものであることが認められる。なお、同証人も認めるとおり、右協議結果を導く要素となった各種所見は、いずれも第二回手術以前に現われていたものである。
(3) <書証番号略>及び証人江草康夫の証言によると、六月一六日の江草医師の検討結果が、以下のようにカルテに記載されていることが認められる。
①腹部に筋性防御のないこと、②ドレナージの内容(漿液性)、ドレナージされていないという事はなかろう、③腹部膨満の因が右外側を中心とする浮腫―後腹膜の浮腫であろう、④Tチューブ造影の所見からも、腹腔内には問題はなかろう、ただし、乳頭部よりの後腹膜腔への漏出もないはずである、⑤腹部X線撮影(単純)にて、右の腸腰筋の線が明らかでない(左側はクリアである)。以上の所見により、後腹膜に問題がある。
その原因は、膵炎、乳頭部への漏出(証人江草康夫の証言によると、漏出するのは胆汁や膵液などであると認められる。)であるが、ならば、右側に限局することはなかろう。右外腹部の発赤(++)は、滲出液のたまりのためと思われる。FOY軟膏で処置、コツヘルの授動術を十分に置いてあるので、腹腔内へ滲出液が出てくるのではなかろうか。Tチューブ造影にて異常なし。
また、<書証番号略>によると、六月二〇日の鳥居医師の検討が、以下のようにカルテに記載されていることが認められる。
急性膵炎というより、十二指腸の背側、即ち後腹膜に膵炎の漏れによる膿瘍がつくられている公算大、しかしこの膿瘍は十二指腸とほとんど交通がないので、胆汁の色がほとんどついていない。一応ドレナージが効いているのでまわりへの波及が少ないため、その他のドレーン部よりは同様な性質の分泌物がないのであろう。そのため、腹部も軟となり、腸の動きも正常になって来ている。ドレーンが効かなくなれば開腹の要があると考えるが、一応一〇〇ml位出ているので様子を見たい。
(4) 右(1)ないし(3)認定の事実に、証人江草康夫、同相良正彦、同鳥居有人の各証言を総合すると、第二回手術の決定時及び実施時において、担当医師らは、膵炎の発症を認めつつも、膵炎自体は軽症のものであって、第一回手術後の炎症所見は他の原因によるものであるとして、膵炎を、手術を要すると判断される病変の主たる原因とは考えていなかったことが認められる。
しかし、次の(三)に認定、判断するとおり、前認定の術後膵炎の一般的症状、検査結果等及び鑑定意見からして、第二回手術後の千鶴子の臨床所見が術後膵炎による炎症の波及であるとの診断は十分可能であったと認められるのであって、担当医師らがこの点を考慮しなかった理由はあいまいであり、明らかでない。なお、証人江草康夫、同相良正彦、同鳥居有人の各証言中、右認定に反する部分は採用できない。
(三) 本件術後膵炎の臨床所見と診断
臨床所見及び検査結果に基づく本件術後膵炎の発症・進行について、証人高田忠敬は、第一回手術後、千鶴子の炎症の所見は悪化していること、そして右上腹部、側腹部にかけて膨隆(この点はカルテの記載に照らし、膨満の誤りと認められる。)が生じ、発赤、浮腫が生じてきたというということは、その経過において感染創が膿瘍化してきていると考えられると証言し、また、鑑定の結果中には、第一回手術後術後膵炎が発症し、第二回手術時までに既に炎症が後腹膜腔に及んでいたとの見方が示されている。そして、前記(一)掲記の各文献の診断基準に照らし、前認定の背部痛、発熱、頻脈などの千鶴子の臨床所見、白血球数増加、また、<書証番号略>により認められる各検査結果(六月一一日の動脈血酸素分圧49.6mmHg、九日及び一〇日の血清カルシウム6.1mg/dl、一一日の同6.7mg/dl、一〇日のLDH五三五U/L、など)、低蛋白血症、千鶴子の年齢、第一回手術の内容等、前記(二)(2)認定の担当医師らの六月一五日の協議の結果、鑑定の結果及び証人高田忠敬の証言を総合すると、千鶴子は少なくとも第一回手術後第三病日の六月九日には術後膵炎を発症し、しかも第五病日の同月一一日ころまでには、右術後膵炎は重症型へと進行していたと認めることができ、かつ、千鶴子の臨床所見及び検査結果からして、担当医師らは、他の合併症とともに、術後膵炎が千鶴子の炎症症状の主たる原因である可能性についても疑いを持って第二回手術に臨むべきであったと認めるのが相当である。
なお、<書証番号略>によると、文献「日本臨床注目の疾患・問題の領域」中の「術後膵炎」には、術後膵炎の臨床症状については、術後膵炎によるものか、縫合不全やその他の術後合併症によるものかの鑑別が必要であり、しかも術後という特殊な状況下での本疾患の診断は極めて困難であるとの指摘がある。
しかし、右文献は昭和五三年五月発行の文献であるところ、昭和五四年六月発行の<書証番号略>の文献「消化器外科術前・術後管理必携」中の「術後膵炎」には、同様に、術後であるため術後膵炎の診断は困難であるとの記述がある一方、各種の報告例、診断例に照らし、その診断は必ずしも困難ではなく、術後経過を注意深く観察することにより発見可能であるとの見解が示されていること、また、前認定のように、本件千鶴子の原疾患に対する手術中に他の手術に比して術後膵炎の発生の可能性の高い乳頭形成術が採用され、しかも重症型膵炎の予後が悪いことからしても、担当医師らはこれを特に警戒して経過観察に当たるべきであったというべきこと、及び本件千鶴子の臨床所見等を総合すると、<書証番号略>の文献の指摘はさきの認定を覆すものではない。
証人江草康夫、同相良正彦、同鳥居有人の各証言のうち、右認定に反する部分は採用しない。
2 術後膵炎に対する処置・治療
鑑定の結果によると、一般に術後急性膵炎と診断された場合には、FOYなどの投与、絶食絶飲、胃管挿入による胃内容の吸引、抗生物質の投与、静脈栄養などの処置を行いながら、経過観察を行い、膵膿瘍や膵周囲膿瘍、あるいは膵仮性嚢胞形成などの明らかな所見が出現した場合に開腹手術を行い膿瘍ドレナージや嚢胞ドレナージを行うこと、その他の方法としては、重症膵炎と診断した時点で、膵周囲のドレナージと胃瘻、空腸瘻、胆のう外瘻造設をする手術があることが認められる。
また、<書証番号略>によると、文献「からだの科学」及び「最新の外科診断と治療」中の「急性膵炎」には、急性膵炎の治療としては、内科的治療が原則であるが、(1)急性膵炎の確診がつかない場合、(2)診断が確実でも内科的治療で症状が増悪する場合、(3)合併症がある場合、急性膵炎に仮性膵嚢胞や膵膿瘍を合併した時、あるいは、胆石症がある場合には、急性膵炎の可能性が高いため手術を行う、また、手術術式としては、膵臓に対して膵授動兼膵床ドレナージあるいは膵切除術、胆道系に対して胆道ドレナージ、腹腔内滲出液排除の目的で腹腔内ドレナージ、胃液吸引の目的で胃瘻、術後の栄養補給の目的で空腸瘻が行われる、という趣旨の記載があることが認められる。
3 膵床ドレナージ
<書証番号略>によると、膵床ドレナージ(膵授動兼膵床ドレナージ。十二指腸を授動した後面にドレナージを置く方法。)とは、膵炎の重篤な病像は後腹膜臓器への膵病変の波及(膵滲出液の侵害)によって惹起されるという実験結果から、膵を後腹膜腔から遊離させ後腹膜腔のドレナージを十分に行い、膵滲出液を体外に誘導すれば、重篤な症状を軽快せしめ得るとの考えに基づき、急性膵炎の外科療法として、わが国では長崎大学医学部第二外科において提唱されたものであり、同第二外科教室では、昭和四四年九月から昭和五二年一月までに積極的に同法による手術を行い好成績を挙げ、昭和五三年に発表した文献において、「教室では臨床症状により、臨床像を中心とした急性膵炎の進行別重症度分類を行い、強力な保存的療法を行っても進行性に悪化する重症急性膵炎に対しては膵授動術兼膵床ドレナージ術を行なうことにしており、現在までに関連病院症例を含めて三二例に施行し良好な成績をあげている。」と報告していたこと、一般には、昭和四八、九年ころからかなり普及し、昭和五〇年ころは外科学会の教育セミナーでも実施されており、昭和五五年当時には盛んに行われていたことが認められる。
なお、<書証番号略>(平成二年の文献「重症急性膵炎の臨床経過」)中には、一部ドレナージの降下につき消極的な記述が見られるが、必ずしも右認定と矛盾するものではない。
他方、<書証番号略>の文献には、「重症例に対する再開腹の予後は不良であるので慎重な対処が望まれる。手術術式に関して、ドレナージ術、消化管吻合術、胆道消化管吻合術あるいは膵切除術などが報告されているが、個々の症例および再手術時期により術式の選択が必要であろう。」との記載もあるように、文献の中には外科的手術に対して慎重な態度を示すものもある。また、さきにも述べたように、外科的治療の必要性とその方法は、対象患者の個体特性や容態、膵炎の重症度に応じて決定されるべきであることは明らかであるから、個々の症例に対して外科的治療を実施するか否かについては、合理的な治療の範囲内において、担当医師らに裁量が認められるのは当然である。
そこで、以下、第二回手術時における千鶴子の容態に照らし、鑑定意見並びに担当医師の判断について検討する。
4 第二回手術における膵床ドレナージの義務
(一) 第二回手術時において、術後膵炎の発症により後腹膜腔の感染創が膿瘍化していたことは、前認定のとおりである。
(二) 第二回手術におけるドレナージの必要性
鑑定の結果中には、本件において第二回手術の際に、臨床所見で炎症が右後腹膜に及んでいると考えられたので、十二指腸を授動し更に上行結腸を反転し後腹膜における炎症や膿瘍状貯留の有無を確認し、適切なドレナージを行っていれば、状況の改善が得られたであろうとの見解が示されている。
証人高田忠敬の証言及び弁論の全趣旨によると、右鑑定意見の根拠は術後合併症に対する処置の第一は手術操作をした局所の確認とこれに対する処置であるから、十二指腸を授動した所は当然に再授動してみる必要があること、また、第一回手術後の臨床所見で側腹部に膨満や発赤が見られることからすれば、更に後腹膜の炎症が進んでいると考えられること、したがって、十二指腸の後と上行結腸を反転することにより後腹膜腔の炎症の状態が明確になったと考えられること、そして、後腹膜腔の膿瘍を発見したならば、後腹膜に対して効果のある膵床ドレナージ等のドレナージを行うことによって状態の改善が得られたであろうこと、担当医師らも、第二回手術で膿瘍の存在を疑って開腹したのであるから、膿瘍がある場合にはこれを排出せしめなければならないところ、膿瘍を発見しないまま閉腹したことは問題であると考えられること等であることが認められる。
そして、膿瘍化などの合併症状が発生するようになった場合には、外科的治療の適用があり、当時、後腹膜腔の病変に対する効果的な処置として膵床ドレナージが行われていたことは、さきに認定したとおりである。
右にみたところによると、鑑定の結果中の前記見解は相当であると考えられる。
被告は、膵床ドレナージによっても膿瘍形成の阻止や排除に効果を期待し得ない上、晩期合併症その他の危険があると主張して、本件における膵床ドレナージの必要性を否定する。
そして、右主張にそうかのような記述のある<書証番号略>の文献もあるが、右文献の記述を全体としてみると、必ずしも膵床ドレナージの効果を全面的に否定するものではなく、かえって、晩期の重篤な病態の発生を阻止するために壊死性組織あるいは膿瘍の可及的早期かつ積極的排除が不可欠であることを強調する部分もあるのであるから、右<書証番号略>は被告の主張を支持するには足りないものというべきである。
また、証人高田忠敬の証言中には、急性膵炎の重症例の場合には膵床ドレナージを置くと一時的にはよくなるが、一か月くらい経ってドレーンの入っているところから感染が起こり再び膿瘍ができたり晩期の合併症が生じることも多いことから、現在は当時ほどは行われなくなった旨の供述部分がある。しかし、同証人は、一方で、現在でも膵床ドレナージの必要な症例はあると供述しているのであるから、右供述部分は、本件において膵床ドレナージによる容態改善の可能性があったことを否定するものではない。
証人鳥居有人は、再授動を行っても治療にはならないから行われなかったと供述するが、既に後腹膜腔において感染創が膿瘍化していたとの前認定に照らし、右の判断は相当であったとは認め難い。
(三) 第二回手術におけるドレナージの義務
第二回手術において、膵床ドレナージ等後腹膜腔に対するドレナージを置くことにより、千鶴子の容態に改善の可能性があったとみるべきことは、前説示のとおりであるが、被告は、担当医師らの第二回手術の処置は、適切であったと主張するので、この点について判断する。
(1) 被告は、第一に、担当医師らは、膿瘍が形成された場合にドレナージされるように膵床部にドレーンを置いて膵床ドレナージをした旨主張し、証人相良正彦の証言中には、第二回手術において膵床ドレナージを置いた旨の供述部分がある。しかし、同証言によると、同人のいう膵床ドレナージは、<書証番号略>のカルテの第二回手術記載中(2)③に「十二指腸外側にアメゴムとシリコンドレーン」と記載されているもののことであることが認められるところ、同証言によると右ドレナージの先端は十二指腸の内側すなわち膵臓の裏側までは到達していないことが認められるのであるから、さきに(二)においてその必要性を認定した膵床ドレナージの機能を果たしていたとは認められない。
しかも、同証人は、第二回手術時に入れたドレーンではとても不十分であることが六月二三日にはっきりしたと供述し、また、証人鳥居有人は、第三回手術で膿瘍が形成されていた後腹膜腔の部分と第二回手術時に入れたドレーンとの境には健常な部分があり、膿瘍はドレーンから離れた場所に形成されたと証言し、証人江草康夫は、第二回手術において十二指腸外側に置いたドレーンは後腹膜腔に対しては間接的な治療であると証言している。
したがって、本件の第二回手術によっては、問題のあった後腹膜腔に対する十分な処置はとられなかったと認めるのが相当である。
(2) なお、膵頭部付近に膿瘍の形成が認められなかったことを理由に膵床ドレナージの必要性を否定する被告の主張については、膿瘍化の認められることは前認定のとおりであるから、採用の限りでない。
(3) 被告は、第二に、第二回手術における再授動は、十二指腸切開部の開、副損傷、出血の危険があるところ、後腹膜腔に膿瘍が存在する確証がないため、危険を侵してまで膵授動を行うことはちゅうちょされたので、膵を愛護的に扱い、十二指腸外側のドレーンその他のドレーンを追加し、胃瘻及び空腸瘻の造設術を行う方法を選択したのであって、担当医師らの判断と処置は当時の医学上何ら非難されるものではないと主張する。
膵授動に伴う危険について、証人江草康夫、同相良正彦及び同鳥居有人は、膵臓の裏側には静脈系統と膵臓周囲の細かい血管網があり、その辺りからコントロール不能の出血が起きるおそれや、第一回手術から六日目で組織がもろい状態になっており、十二指腸切開部の開などの副損傷の危険もあるとの趣旨の供述をしているが、他方、江草証人は、膵授動膵床ドレナージを実施することのプラス面とマイナス面とを考慮し、その時点では膵頭部の炎症はひどくない、急性膵炎そのものとしてはひどくないという判断があったため、比較的ちゅうちょなく、再授動はやめた方がいいということになった旨供述し、相良証人は、第二回手術時には膵炎としてはそれほど強くないという印象を持っており、炎症の原因が膵炎であるとは思わなかった、また、膵床ドレナージという点では十二指腸外側に置いたドレーンでその目的は達すると判断した旨供述している。
また、証人高田忠敬の証言によると、手術後六日ころというのは炎症がかなり強くなるためもろくなっている場合と、線維性に反応が起こって頑固な癒着で硬くなりなかなか到達できない場合とがあること、後者の場合癒着した部分を剥がさなければ十二指腸に到達できないが、その癒着の付近に下大静脈という大血管があるため、その大血管を損傷する可能性があること、しかし、第一回手術で十二指腸授動術を実施できた術者であれば、触れるだけで出血するような易出血性の状態が生じているのでもない限り、注意して行えば避けられる危険であることが認められる(本件においては易出血性の状態にあったと認めるに足りる証拠はない。)。
これらを総合すると、再授動術に伴い前記供述で指摘するような一定の危険があることは否定できないが、他方、後腹膜の炎症の可能性の有無及びその程度との関係においては、右のような危険があっても再授動すべきか否かを決しなければならない場合のあることも否定できない。そして、この点の判断は、後腹膜の炎症の原因となる重症型術後膵炎の発症に対する予見の有無によるというべきところ、第二回手術時までに千鶴子に発症した術後膵炎は重症型へ進行し、後腹膜腔が膿瘍化していたこと、及び臨床症状と検査結果からこれの主たる原因が術後膵炎であることを予見すべきであったことは、前記1に認定したとおりである。そうすると、第二回手術時の千鶴子の容態からすれば、一定の危険を考慮しても、後腹膜腔の状態を確認し、これに対するドレナージを行うべきであったと認めるのが相当である。
証人相良正彦、同鳥居有人の各証言中には、第二回手術において膵炎に対する外科的措置としては、膵を愛護的に扱い、十二指腸外側のドレーンその他のドレーンを追加し、胃瘻及び空腸瘻の造設術を行う方法を選択したとの供述があるが、十二指腸外側のドレーンその他のドレーンが十分な効果を発揮しなかったことは前認定のとおりであり、鑑定意見及び証人高田忠敬の証言によると、急性膵炎に対して、胃瘻造設術は胃液の持続的吸引による膵外分泌の抑制を目的として、空腸瘻造設術は経腸栄養によって栄養補給を目的として行われるが、いずれにしても、膵に対する刺激を少なくするための急性膵炎の間接的な治療方法であるところ、本件では既に感染性の変化が見られており、右治療方法は感染に対しては直接的には何らの意味を持たず、炎症のある後腹膜腔に対する処置をしなければ、治療効果を生ずるには至らないことが認められる。
また、担当医師らは第二回手術に際し、膵炎の発症はあるけれども、それ自体は軽症であり、千鶴子の炎症症状の原因はほかにあるとの診断をしていたこと、第二回手術後になってから千鶴子の病変の主体は術後膵炎ではないかとの協議をしたり、問題は後腹膜腔にあると結論付けたりしていたことは、前認定のとおりである。
以上を総合すると、第二回手術の時点で、担当医師らは術後膵炎自体は軽症のものと診断したため、炎症の原因の主体が後腹膜にあったのに後腹膜腔の状態の確認の必要を重視せず、再授動により後腹膜腔の状態を確認することなしに閉腹したものと認めるのが相当である。
5 以上認定したところを総合すると、予後の悪い術後膵炎発症の可能性の比較的高い術式である乳頭形成術を採用して施行した担当医師らとしては、第一回手術後の炎症症状の主原因が術後膵炎である可能性についても予見すべきであり、第二回手術で再開腹に踏み切った上、予想した膿瘍が腹腔内に発見できなかった以上、後腹膜腔における炎症の有無をも確認すべきであるのにこれを怠り、適時に膵床ドレナージ等の後腹膜腔に対するドレナージを行う機会を失った点において、診療上の注意義務違反があったと認めるのが相当である。
九因果関係
次に、右八認定の義務違反行為がなければ、死亡の結果が避けられたかどうかについて判断する。
前掲鑑定意見は最終的に死亡を避け得たか否かについて結論を留保しており、証人高田忠敬の証言によると、膵床ドレナージは、これにより一時的に状況が改善されたとしても一か月程後にドレーンの挿入部から感染が起こり再び膿瘍ができるなどの晩期の合併症を生じることが多いことから、最近ではあまり行われなくなったことが認められるから、鑑定意見が死亡を避け得たかについて結論を留保せざるを得なかったのは、千鶴子の術後膵炎がかなり重症例と認められることに鑑みて、膵床ドレナージ等により一旦状態の改善が見られたとしても、再度新たな合併症を生じ、最終的には死亡に至る蓋然性がかなりあるとみたためであると推認される。
また、<書証番号略>によると、昭和五九年の文献「腹部救急医療の進歩」第二巻中の「急性膵炎の診断と治療」には、自験例一三四例のうち重症型が一八例あり、そのうちの一〇例が、腹腔内ドレナージを主体とした外科的手術の実施にもかかわらず重篤な臓器機能不全により死亡しており、重症急性膵炎の手術成績は不良であるとの指摘がされ、<書証番号略>によると、昭和六三年の文献「胆と膵」九巻一二号中の「急性膵炎に対する外科的治療の変遷」では、「筆者らの重症例三七例のほとんどは、膵床ドレナージを主体とする手術が行われているが、死亡率は58.3パーセントと高く、そのうちの半数は敗血症により死亡している。」との指摘もあることが認められ、これらによると、近年に至っては、膵床ドレナージの推進された当時と比べて、その効果についてむしろ否定的な自験結果も報告されていることが認められる。
さらに、千鶴子は重症型の術後膵炎の発症により死亡したこと、重症型の壊死性ないし出血性膵炎の死亡率は五〇パーセント以上と極めて高く、中でも術後膵炎は予後が悪いとされ、特に、年齢五五歳以上の患者の場合には死亡率が高いこと、膵炎の重症例の治療の非常に困難であることは、前認定のとおりである。
右認定事実を総合すると、<書証番号略>の本件記録に現れた当時の良好な手術成績の報告をもってしても、千鶴子が、術後膵炎による死亡を免れ、健康を回復して平均余命を全うしたことにつき高度な蓋然性を推認するに足りず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。
もっとも、鑑定の結果及び証人高田忠敬の証言を総合すると、前記認定の義務が尽くされていれば、少なくとも、一時的に改善が見られたであろうことが認められるが、その結果、どの程度の延命が可能であったのかその期間は明らかではないから、原告らの千鶴子の死亡を前提とする本件請求に対し、その一部として延命可能性を奪われたことを前提とする損害もまた認定することはできない。
一〇以上によれば、原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官新村正人 裁判官前田英子 裁判官荒井勉は転補のため署名捺印することができない。 裁判長裁判官新村正人)
別紙<省略>